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漫画紹介: [鈴ノ木ユウ] コウノドリ~プロゆえの謙虚な無力感と、等しく優しい眼差し

漫画紹介: [鈴ノ木ユウ] コウノドリ

 

 ~プロゆえの謙虚な無力感と

 すべての立場に対する公平で優しい眼差し

 

 

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 この作品は(2018年1月13日)現在21巻まで出てます。人気テレビドラマになってるそうなのでご存知の方も多いでしょう。僕はドラマは見てないですけど、マンガとしてだけ見ても良いです。

 

 医療系のマンガは沢山あります。その昔は「ブラック・ジャックにトドメをさす」という風潮もなきしにもあらずだったけど、エリアも、切り口も全然違う作品が沢山出てます。時代劇や刑事物と一緒ですね。「医龍」は、医学もそうだけど大学病院内の権力闘争やポリティカルな駆け引きが面白かったし、現在連載中の「フラジャイル」は病理医の医学アカデミックな部分や、経営コンサルティングや製薬会社とのあれこれが面白いです。

 

 コウノドリは産科の話です。周産期医療がメインですが、それにとどまらず周辺にまで話を広げてます。

 

どの立場にも平等に優しい眼差しで見ている点

 この作品の一番素晴らしい点は、どの立場も平等公平に描写されている点です。

 正義の主人公がおって、憎ったらしい悪役がおって、というわかりやすい対立構造にしていない。だれもがそれぞれの立場で主人公だし、立場や見方が違えばこう見えるって部分を丁寧に描いていて、そこが凄いなーと思います。

 

 少年・青年マンガの王道のひとつに、勝負・対立構造があります。魅力的な敵キャラを登場させて、動かしてって黄金のフォーマットですね。

 あるいは「ブラック・ジャック」がそうであるように突出したスーパースターの主人公がいて、そこを基軸にすべてがまわっていく構造。

 

 この「コウノドリ」は、そのどちらでもなく、一応鴻鳥医師という主人公はいるんだけど、周囲の医師、さらにエピソードごとに変わる患者さんなどが、ほとんど等価に描かれている「群像」系のフォーマットだと思われます。

 さらに群像系のなかでも。価値観的にどこかに据えているわけでもなく、かなりフラットな描き方をします。「本物にこだわる職人陣営(主人公ら)」と「金儲けや見てくれに振り回される軽佻浮薄な馬鹿ども」という価値的区分けをしているわけでもない(「美味しんぼ」など時々そういう構造になるよね)。

 

 その公平性が、この作品の特筆すべきポイントかなーと思います。

 

 最初読んでるときは、医学的に知らない知識を沢山得られるので、「ふーん、そうなんだ」と知的好奇心的に面白かったのですが、読み進むにつれ、誰に対しても優しい眼差しを注いでいることに気づいて、それが知的快楽以上に好ましく感じられるようになっていきました。

 

 まあ、まったく価値観的にな主張がないわけでもないのだけど(そういう価値相対主義的な点が一つの価値観ではあるのだけど)、あまり一方通行の主張ぽくしないようにしよう、どの立場にも好意的に理解するように努めようという原作者の公平性が光ってます。

 

 これは僕がやってた法学と同じなので、親和性あります。すべての立場に対して等距離に、公平にみることが大前提なんだけど、これが死ぬほど難しい。冤罪事件のムチャクチャさとか目の当たりにすれば被告人の立場に偏りますし、可哀想な被害者や悪賢い犯人を見ればその逆になる。国民の生活のしんどさを考えれば国家や行政に敵対的に感じるが、しかし予算にも限りがあるとか、現場はそれなりに一生懸命やっているとか考えると一概にも言えない。ヒラから見れば上司は人非人であり、上司からみたらヒラは甘えてるしか思えない。

 だからAの場合はAびいき、Bの場合はBびいきになる。自然な人間の感情ですけど、でもそれって法律じゃないです。だってそれって、ただのダブルスタンダード、マルチスタンダードであり、行き着く先は「俺様が気に入った方を勝たせる」といってるだけのお子ちゃま論ですから。現実は一つしか無い。だからルールも一つしかありえない。この場合は~とかいい出したらキリがないし、ルールにならない。このバッターは頑張ってるから、3ストライクじゃなくて4ストライクまでいいことにしようよとか言ってるのと同じ(ときにはそういう「イキなはからい」も潤滑油として必要だけどね)。

 そこで「あちらを立てればこちらが立たず」という七転八倒の悩みと苦しみが始まる。法学というのは苦悩の学問です。そして、それは人の上に立つ者の共通の課題であり、また、あらゆる専門家と言われる人の悩みでもあります。


 この「コウノトリ」を書かれた方は、そのあたりがよくおわかりのようで、ああ、プロが作ってるなーって思ったのです。ここに何もかもわかった神のような人物があり、どこぞに何もわからずに調子こいてるアホンダラがおって、というフォーマットにしていない。これをやるとドラマは作りやすくなるし、感情移入もしやすいから簡単なんです。だけど薄っぺらい話になっちゃうし、ある程度ものがわかった大人の鑑賞に耐えうるものにはならない。

 

 作者の鈴ノ木さんは、手塚治虫のように医師でもなく、奥さんの出産に立ち会ったときの感動が初期衝動になってこの作品を作られているですが、門外漢でありながらもここまで深く洞察できている。すごいなーと思いつつも、別の言い方をすれば、ジャンルはなんであれ、ある程度真剣に生きている人だったら、このくらいのことは普通にわかることなのかもしれないです。

 

 コウノドリという作品の随所に出てくるのは、僕ら(産科医)は無力だ、祈るしかないんだって無力感ですが、それは現場の最前線にいる感覚だと思うし、その謙抑性が同時にあらゆる立場への優しい眼差しになるのだと思います。

 

お産をめぐるあらゆる立場

 では、お産をめぐるあらゆる立場とはなにか? 

 

 例えば、産前の不安で精神状態がおかしくなるお母さん、

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おろおろして距離感がつかめずに空回りするお父さんも、

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 医療側も、産科医だけではなく、助産師、看護師、救命、新生児医、婦人科医、麻酔医、さらに地域の産科医、養護施設などなど、

 

助産師さん場合

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 助産院の自然なお産と、助産院を地域で経営する怖さ

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また、メディアやネットの功罪(一つのものの見方を教条的断定的にいうとか)も。

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出産という「奇跡」と、予定調和のハッピーエンドに終わらさない確率リアル

 と同時に、産まれてくること自体が奇跡って言われるけど、ほんとにそうだなーって。これだけ複雑精妙なメカニズムでなされるのだから、なにか一つ歯車が違っただけでもうダメになるという恐さ。あるいはそれでも治していく現代医療の先端技術。

 

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 ただ、確率の問題って要素も多い。なぜそうなるか未だにわからないことも多い。
 どんなに万全を尽くしていても流産したり、死産したり、母体も死んでしまったり、 そのあたりハッピーエンドに終わらせてないこともあります。そこがリアル。

 

人事をつくしても最後は祈るしかない

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 そして、理不尽にしか感じられない、信じられないような事実をつきつけられた家族の心の受け入れ、その後の話。

 

 死産した赤ちゃんに両手を合わせて弔い、火葬にする。双生児として受胎したけど、途中で片方だけ死んでしまう。でも死んでしまった赤ちゃんの方にも名前をつけて忘れないようにしようという家族。

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技術の問題もそうですが、心の問題にもページが割かれていて、そこがいいです。

産後うつ

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さらには経済的な側面や保険診療

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養護施設にも

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プロと素人の波打ち際の葛藤

 思ったのは、プロと素人の波打ち際の葛藤ですね。
 素人がそう思うのは無理もないんだけど、専門家の視点で見ると、それは愚かな行動だったりもするわけです。そこをどう指摘するかです。

 

 鴻鳥医師と四宮医師がコンビで出てくるのですが、それが対照的で、どちらもアリだろうなーと思わされます。

 主人公の鴻鳥医師は、お母さんの立場に親身に耳を傾けて共感する方向で話を進めていくのだけど、それだけに医学的にはリスキーな方向にいかざるえない。


 四宮医師は、対極的にお母さんの気持なんか斟酌せずに、客観的に最適な方法をズバリという。そうなったのは、過去に同じように引きずられて、リスキーな方向にいって、結果として赤ちゃんを脳性麻痺にさせてしまって、罪滅ぼしのように毎日その子の部屋に行っているという。だから何をどう憎まれようが客観的にベストな方法をやるのが一番いいんだって哲学にもなる。

 

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 これはほんとそうで、専門家はどこまで素人に共感すべきか?
 共感のみならず方針でもどこまで追従するか。


 悩ましいですよね。

 ましてや、人の生命、特に物言わぬ赤ちゃんの命がかかってるとなったら、共感とばかりも言ってられないだろうし、永遠の課題だよなーと思ったのでした。

 

巨大な森羅万象に心細く立ち向かうプロ

 そして、また冒頭の「優しい眼差し」に戻りますが、専門家が現場で揉まれて一人前になっていく過程で遭遇するのは、この世界のとてつもない実相です。この世界の森羅万象は、自分ごときの貧弱な頭脳では到底把握できないくらい膨大な広がりを持ち、また複雑極まる組み合わせによって成り立っている。

 

 「こんなことがあるのか?」と唖然とするような偶然もしれっと起きるし、それまで全く見えていなかった事柄もたくさんある。てか、知れば知るほど、経験を積めば積むほど、何もわかっていないということを打ちのめされるような思いで知る。

 

 いくら専門教育を受け、いくら現場経験を踏み、いくら最新鋭の設備を揃えようが、基本は真っ暗な大海原をカヌーで心細く進んでいくことに変わりはない。多少カヌーの照明が増えようが、手漕ぎのオールの材質が向上しようが、心細さに変わりはない。この世界は、それほどまでに巨大であり、怖い。

 プロと呼ばれる人たちは、そうやって日々カヌーを漕いでいるのだと思う。何事にも絶対はない、わかった気になってると足元をすくわれるし、しっぺ返しも食らう。

 

 だからこそ、いきおい謙虚にもなろうし、いろいろな立場に対しても深く理解しようとするだろうし、自然とその眼差しは優しくなるんだと思います

 

 僕が専門職のドラマやマンガをみるとき、この苦悩や書かれているかどうかを無意識にみてしまいます。TVドラマなどでは、時として「常に」ハッピーエンド、逆転勝利!みたいな予定調和になってたりしますけど、現実はそんなことない。

 

 弁護士だったらまさかの敗訴で依頼者に罵倒されるのも職務のうちだし、医師だったら仮にそれが不可抗力であったとしても患者に頭を下げ、時として人殺し呼ばわりされれるも職務のうちです。

 

 それが怖いから万全を尽くす、でも万全を尽くしてもなおも確率的に悪しき結果は生じる、そして無力感にさいなまれる。無力感を感じるからそなおも万全を、、という永久機関のような繰り返しをしているのが、プロと言われる人たちだと思う。今日も、今この瞬間も。

 

 

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エッセイ847に掲載したものを、補充して掲載しました

 

 

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