オーストラリア/シドニーから。
APLAC/SYDNEYの別館。漫画紹介や趣味系の話をここにまとめて掲載します。

音楽:清水舞台ソング~Blankey Jet City ”Punky Bad Hip"

「なんでこの世はこんなにつまんないんだよ!?」

 という太古のケダモノソング

Blankey Jet City Punky Bad Hip
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 清水の舞台にて

今を遡ること23年前、1994年にオーストラリアに「ぽーん」と渡りました。大阪で弁護士やって6年目、開業資金も貯めたし、いよいよ独立ってときに、「ほんとにそれでいいの?」という激しい迷いが。

「迷い」といっても、実はそんなに迷ってなくて、このまま一生弁護士やるとか、「それはねえな」というのはなんとなく確信としてはあった。そんなことするために生まれてきたんじゃないよ、冗談じゃないよって。

じゃあ何すんの?というと、別にアテがあったわけではなくて、自分の心がときめく方向を分析していくと、「もっと、ぶわ~っ!と」とかいう抽象的なことがやりたかった。「スカッとしたいな」みたいな生理的な欲求ですね。ぶわっとしてたらなんでもええわ、それでメシが食えるとかどうでもええわ。

「清水(寺)の舞台から飛び降りる覚悟」っていうけど、後は野となれ山となれで、うわーって飛び降りたかった。飛び降りときの爽快な浮遊感を求めていた。まずはそれをやらないと次にいけんぞと。やらないと死ぬ!くらいの感じ。

そんな清水舞台は、当然ながら超ビビります。そんなことやっていいんかよ?あとで死ぬほど後悔するぞとか、そりゃもう根が小市民だからビビってました。でもビビるからこそ良いというのもあって、ビビって死にそうなくらいなことをやりたかった。なんなんだろうね、これ。

そんな思いを胸に秘めながら日常多忙な業務を行ってたわけですが、そんなときに、「感覚にマッチした」なんて生易しいもんじゃなくて、「これ!」ってテーマソングのように鳴り響いていた一群の曲たちがあります。

その中の一つが、この曲です。

ブランキーは総じて好きですが、この三枚目のアルバムの「C.B.Jim」が一番好きです。なかでも、清水舞台にふらふらと足を運ばせた曲、結局自分は何がほしいのか、一番「言語化」というよりも「音化」してくれたのが、このパンキーバッドヒップです。
「そう!こんな感じのことをやりたいんだよ」という。

ということで、まんま載せたらまた著作権がどうのって言われそうだからぶつ切りにして編集したのを掲載します。





この曲、アルバムの冒頭を飾る爆音ソングなのですが、一回聞いただけでは「なにこれ」って感じで、ピンとこなかった。

 

歌詞世界
だけど繰り返し聴いていると、歌詞のもってるかなり深い意味が徐々に沁みてきて、同時に敢えて「粗暴さ」を前面に出した音も、それが「自由さ」であるんだというのがわかってきて、歌詞と音とが合体し、そしてテーマソングになるという感じ。

まず歌詞でいえば、キメのセリフが多くてクラクラしますね。
「世界が終わるまで待っててベイビ~」(と言われてフラれる)とか、「俺たちの国境は地平線さ」とか。

でも一番デカくて共鳴したのは、

なんでこの社会はこんなにつまんないんだよ!?
という、胸ぐらつかんで怒鳴りたいくらいの気持がまずあり、つづいて

世界(地球)がこんなにつまんねーわけないだろう?

という疑問やら確信やらがあって、そして

じゃあ、自分らで国を作るしかないじゃん
になるという

「金でなんでも買い漁る」しか能のない古い世代に対するファッキンな気分と、オレたちは違うぜ、もっと「自然の掟」「ケダモノの世代」なんだという誇らしげな自己規定があり、「人口わずか15人」の「新しい国が出来た」とつづく。

で、やってることといえば、イメージ的にはアメリカやオーストラリアのヘルスエンジェルスのような、でっかいハーレー乗って大地を疾走するような暴走族のイメージ。
新興宗教的な「新しい村」という方向にいかないで、センスのないむさ苦しい連中が、バイク乗って大地を放浪してるだけ。だけど、結構「未来を語り合ったり」真面目でもある。

全然具体的でも建設的でもないんだけど、イメージはわかる。
とにかく圧倒的な自由が欲しい。自由と言うのも愚かしいくらい「果てしない大地」と「地平線」しかない世界にいきたい。

とにかく生まれてからずっとつきまとってるウザったいなにかを全部落として、絶対自由になりたい。ブランキーの他の曲(SOON CRAZY)に「裸になっても、まだなにか着ているような気がするんだ」という一節があるけど、ほんとそう。生理的にそれがもうすっごい気持悪くて、なーーーーんもないところに行きたいと。ずっとそこに居たら死んじゃうんだろうけど、象徴的にでもなんでも一回はそういうところに行かないと始まらない。

現状を前提にしてそれを改善修正するのでなく、一回何もかも叩き壊して、完全にゼロにしてから始めたかった。

そういった思いが、このカラカラに乾いた大地のイメージをベースにしたこの曲想にぴったり合った。聴いていきなりわかったのではなく、聴いてるうちにだんだん、ああ、そうか、それが欲しいんだってわかった。



太古のケダモノDNA

とまあ、これらは無理やり左脳で言語化したものだけど、この曲の本当の核にあるのは音です。それもテクニックがどうのってレベルからさらに進んで、じっと聴いてると自分がだんだん原始人にもどっていくような、いや人ですら無く、一匹のケダモノに戻っていくような感じ。

最初聞いた頃はわからなかったけど、歌詞の意味や曲世界を理解するようになってからは、聴いてるとどんどん自分が変わっていくのがわかる。たった1-2分のことなんだけど、生まれてからずっと押し殺していた自分の奥の奥にある獣がだんだん大きくなって出てくるような感じ。

優れた楽曲は、それ自体が優れた催眠術であると思うのだけど、無意識のあちこちにある動物的な感情、こんな感情を表に出したら社会生活できるわけないので鍵をかけて封印しているもの。それらを、曲の力だけで、一つ一つピーンと解錠していく。

ブランキーの浅井氏がインタビューかなんかで自分の曲群を語ってて、そのなかで、「くるくるぱあになる曲」って放送禁止用語もクソもなく、名古屋弁丸出しで喋ってたけど、そんな一群の曲。

中村達也氏のドラム
音構成でいえば、この曲はなんといっても中村達也氏のドラムの曲だと思います。ベンジー(浅井氏)も照ちゃん(ベース)もいいんだけど、でもドラム。
メインパターンは、やや明るく乾いた音にセッティングしたスネアの刻みが、乾いた大地を疾走するバイクのエンジンをイメージする。「剥き出しのチェーン、ジンジン響かせ」「メチャクチャな髪を風になびかせ」というイメージ。

そして、決めセリフがでてくるあたりのドンドコという低音のフロアタムが、まさに太古のリズムで、原始時代、大きな焚き火を取り囲んで、部族が踊り狂ってた頃のリズム。音楽が音楽としてもっとも輝いて、もっとも機能していた時代の音。これらが催眠術のキーワードのように、封印を解いていく。

中間のギターソロのあとの空白に、どんがらがら、どんがらがらと叩き込むような無茶苦茶なドラム。

でもって、背景に「ひーーはあー」「ハッハ!」とか奇声が聴こえるんだけど、あれも中村氏がドラムを収録する時に自然に声にでた音らしく、本来ならダメテイクなんだけど、面白いからそのまま残したそうです。
ロックの曲にはこの種の奇声やシャウトがあるんだけど、シャウトだから「あ”ー」とかやってますってんじゃなくて、本来やるつもりじゃなかったんだけど、つい出てしまったという。それだけに純正ナチュラルで、とくに「はっは!」という1秒足らずの声の質でわかるんだけど(25秒あたり)、もういっちゃってるというか、文明をきっぱり拒否してるケダモノ的な響きがはっきりあって、それがキますね。何度聴いても。

ブランキーは一回ライブで見たことあります。このC.B.Jimのアルバムの次のアルバム「メタルムーン」が出たまだ初期の頃、渋谷のNHKホールで見ました。最後の「悪い人たち」の時にバックにオーケストラが出てくる時期の。

眼の前で見て改めて思ったんだけど、中村氏のドラムのカッコよさったらなくて、目が自然と吸い寄せられる。どっかで曲の途中に、中村氏がスティックを持った右手を真上にあげ、そのままスーッと右側に半月を描くように動かしたんだけど、それだけで全員の視線がそのスティックに吸い付く。もう、集団催眠かよ?って感じで。

「C.B.Jim」というアルバム
でも、この曲、当時の僕のように、暴力的な破壊衝動(清水舞台ゼロリセット願望)にかられてないと理解し難いかも。いや、その種の破壊衝動は誰でも持ってると思うのだけど、特にそれを意識してるというか、持て余してるというか、そういう精神状態にあってこそ、この曲の良さがより理解されると思います。

「癒やされる」というベクトルの対極にあるような、「呼び起こされる」という覚醒系。

ブランキーのアルバムは全部持ってるけど、やっぱ初期の頃が好きで、特にこの「C.B.Jim」が一番好きです。次に「メタルムーン」かなあ。多分に主観的な事情(そういう気分が最高潮だった頃に聴いたから)によるのだろうけど。

C.B.JImは捨て曲なしってくらい名曲が多く、前にも書いたけど、「ライラック」の叙情性は突出してます。昭和時代の少年漫画の主人公のような、ちょっと乱暴で、でも心も身体も健康な男の子のストレートな叙情性、なよなよしてない叙情性。

「DIJのビストル」なんか、もうDIJ=ドキドキするほど・イカれた・人生=という曲名だけでイッてるし。自分が宇宙人なんじゃないかって思うくらい圧倒的な疎外感と、「メリーゴーランドのロバに向かって両手を広げて話しかける」という、やり場に困るくらい圧倒的な量感をもつ愛情。

「12月」の死生観は、一回聴いてたら本当に涙が出てきたことがあった。なんでわざわざ全部壊してオーストラリアなんか行くんだろう?って思ってて、なんで俺はこんな人間なんだろう?って、そこで「パパママ、聴いてくれ、こんな遊び方しか出来ない俺を、誇りに思って欲しい」という一節が響いた。遊び方というのは、「お前(心の中のもう一人の自分)の動物的な悲鳴を聴くのが大好き」という悪趣味なもの。でも、それだけに、こんなことやってて長生きできるわけないよなって終末予感は色濃くて、「もうダメだと思うから、手伝ってくれるかい?」という。

そして、これさえ聴いてれば、歴史も、政治も、経済も習う必要ないんじゃない?という人類の真理を淡々と歌う「わるい人たち」。

あ、キリないのでこのへんにしておきます。
清水ソングは他にもいくつかあって、また書きます。真島昌利の「RAW LIFE」なんかドンピシャだったし、ユニコーンの「すばらしい日々」は飛び降りたあとの心情に一番フィットした。ちょっとポップで薄味だけど、B'zの「ZERO」なんかも同じこと歌ってますね。


 

 

 

 

 

 



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