漫画紹介:[麻生 みこと]海月と私 ~日本の鄙に行きたくなる上質な連続ドラマ
[麻生 みこと]:海月と私 ~日本の鄙に行きたくなる上質な連続ドラマ
全4巻の小~中編。
イイです。表現的に斬新!とか感動!とか「すごい」感はないんだけど、独特の空気感がとにかく気持ちいい。絶妙なバランス感覚で計算してそうしているのか、自然にそうなるのか。
構成は、
(1)日本の片田舎、親父さん一人でやってる民宿に、都会から出てきた(ぽい)きれいな女の人が転がり込んできて、なし崩しに働くようになる
(2)この二人の主人公キャラが絶妙で、無骨で不器用な親父さんなんだけど、達観してるように見えつつ、妙に青年のように熱いところもあって、その折り合いが自分でもつかず、終始おろおろしている愛すべき中年キャラ
女性は、聡明で有能な美人なんだけど、それを生来の茶目っ気と明るさが上書きしてるからイヤミにならない。
(3)気になる二人の関係は?だけど、肩透かしを食らうくらい何も起きず、淡々と続くのだが、、
(4)この二人が「ごはん(主食)」だとしたら、毎回登場する宿泊客達という「おかず」がついて、それぞれに人生劇場の断片が。
(5)「結局この女性は何者?」というミステリーがあって、ゆっくりと紐解かれていく
ゴハン+オカズの連続ドラマツルギー
「ごはん(主人公らレギュラー)+おかず(週代わりのゲスト)」という連続ドラマツルギーがあって、そこにTV番組定番の日本観光的な舞台設定があって、シリーズ全体を通してゆっくり物語が動いていく、というある意味では黄金のフォーマットです。逆に言えば「ありがち」「凡百」でもある。
しかし、この作品を佳品に押し上げているのは、先にも書いた絶妙なバランス感覚だと思います。いろんな要素が入ってるんだけど、どれも描きすぎてない。非常に淡白にしていて、素材本来の味は出すけど、調味料の味はでしゃばらない。濃かったり、くどかったりしない上品な薄味風味。
これだけの設定があったら、やろうと思ったらどこまでも出来るはずです。二人の関係だって、もっとロマンチックに、あるいはもっと人間の業を感じさせるようなディープな物語に仕立てることも出来る。ミステリーだって、もっと緊迫感を盛り上げたり、いくらでも出来る。個別のオカズ宿泊客の物語も、何回かに分けて濃いドラマに仕立てることも出来る。
クリエイターのエゴとしては、面白いネタと方向性が見つかったら、ついつい表現したくなると思うのですね。その欲求はかなり強烈でしょう。それを相当な自制心で押しとどめているのか、生来の感覚で必要なしと切って捨てているのか。
おかずな方々
この世の果てみたいな荒磯にある民宿なだけに、「訳あり」系の人々もちらほらと。自殺志願ありーの、不倫ありーの、男女に修羅場ありーの、なんだかんだ、、、
絶妙なバランス感覚
ちょっと前にデザインなどビジュアルやってる人と話しましたけど、いかに描くかよりも、いかに描かないかの方が難しい。余白があったらついつい描きたくなる、こんなの面白いだろうな、こんな色を混ぜたら斬新だろうなとか、いくらでもネタは思いつく。描きたい。だけど、空白がベストだと全体のディレクター感覚で押しとどめるのが難しい。
この作品もそうで、多くの余白を描かないで残している。
絵もまた同じく、詳細な背景とか描きこまず、顔の表情におけるシャドーも殆どつけず、装飾性のないスケッチみたいな、まるで4コマ漫画のようにすっかすかの絵柄です。
ただし、簡単に描いているようで、顔の表情の線とか、かなり時間かけてる気がする。
例えば、推定年齢50代前後の親父さんも、「年齢相応の中年顔」と「魂の青年顔」が二重写しのようにみえるように描いてると思います。主人公の女性も「天真爛漫顔」と「謎の女顔」が二重イメージになるように描き分けてる。だけど、やりすぎてない。サラリと流してます。
ところどころクスリと笑える箇所があって、妙になごめる。
この親父さんも、若い頃は実家の民宿を継ぐのイヤで家出した。東京銀座で板前修行して(だからゴハンが美味しい)、親が死んでから後を継ぐために帰ってきたという設定。
誰からも好感を持たれる主人公ですが、家猫だけはダメだという。話の最後にときどき出て来る猫バトル。
ミステリー解明になだれこむ大団円付近の週末では、それなりに活劇的になるんだけど、そこまで緊迫スリリングってほどでもない。ほわほわ~って話が進んでいく。最後の落ちもまたしかりで、結構これで全体の話の意味が変わってきて、もう一度読み直そうかって気になるくらい、でも淡く淡く、いわさきちひろの水彩画のように、すっと終わる。
ということで、ファーストフードの濃い味が好きな、なんでもケチャップ入れないと気がすまないアメリカンな人には薄味すぎて向いてないとは思います。
でも、プロの板前さんが作った日本料理が好きな人には向いてると思います。
技巧を凝らしているんだけど、技巧の痕跡を消す。技巧を誇示したい自己顕示欲求を抑えて、すっと素材に道を譲るのが日本料理・日本職人の本質だと思うのですが、そういうのが好ましいなと思える人は、どぞ。
最大の余白に鳴っている海嘯
最後に、この作品は膨大な「余白」があります。
少なく見積もっても2-3割は余白として残されているように思います。
そして、ここが最大のポイントなんですけど、その大きな余白部分になにがあるか?というと、ただの空白ではなく、そこにあるのは、日本の鄙の空気感です。
眺望の良い岸壁の民宿。
海がぶわっと広がって見えている。
空もぶわっと広がっている。
その開放感のなんという気持ちよさ。
そして、読み進むにつれて耳に残っていくのは、聞こえるはずもない海の音。
磯に砕ける波の音
遠くまで薄く響く海鳴り。
海嘯。
読んでる間、ずーっと海の近くの民宿の畳の上で、聞くともなく海鳴りを聴いてるような気分になります。
それが生理的にめちゃ気持ちいいです。
これみよがしに描いてないんだけど、
なんとなく馴染んで、
あたかも髪を櫛で梳(す)いていくように、
生理的にその雰囲気にすーっと順応していく。
自分も又その落ち着いた時空間にいるような気分になる。
あー、日本の海辺の民宿、また行きたくなっちゃった。
年末年始で時間があるとき、あるいは帰省や旅行の車中など、パラパラと読むにはお手頃かと思います。
※これは本家に書いておらず、完全書き下ろしです。