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漫画紹介:[福島聡] 機動旅団八福神~良く分からない個人の視界で、なんとなく確からしいなにか


[福島聡] 機動旅団八福神 全10巻

 

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 ほにゃらら~とした漫画です。「え、なんの漫画?」「あ、そういう漫画なの」って感じで、読んでてもよくつかめない。だから次にどうなるか予想がつかないし、どこに視点を据えて読んでいけばいいのかもわからない不思議な浮遊感があります。

 ジャンルとしては軍事モノになるのでしょうか。

 設定は近未来の日本で、日中戦争が起きてほぼ瞬殺された日本が中国寄りになって、それをアメリカ軍が 攻撃してくるみたいな構図なんだけど、それほどシャキシャキした緊迫感はなく、政治的にも生活的にもあんまり変わらないまったり感がある。そこに、画期的 な新素材(全てのダメージを吸収してしまう新型ジェル)を搭載した「福神」という戦闘ロボットが開発され、その乗組員になった若者たちのあれこれを描いた 漫画。

 だから軍事&SFモノなのかもしれないけど、そのジャンルっぽさは全然ない。むしろ意地になって「っぽさ」を潰しているようにすら感じられます。

 

  例えば、新型ロボ!といえば、ガンダムとかエヴァとかメカニカルにカッコいいものを連想するんだけど、出てくるのは「超デブのケロヨン」みたいな、激しく間抜けなファルム。ゆるキャラにしては可愛くないし。かつて戦闘漫画で、ここまで脱力したメカがあっただろうか?というくらいのぶっ飛び方です。

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 また主人公がイケてない。むしろヘタレ気味なんだけど、その系統がエヴァのシンジ君のような、いたいけな少年心理の屈折や哲学的展開を醸し出すわけでもない。クラスのなかで一人で考え込んでるちょっと痛いキャラなんだけど、かといってダーク方面に行くわけでもなく真逆。人を殺すのは悪いことだ!僕は人を救うために軍隊 に入るんだという熱血ニートというか、「いい人」なんだろうけど、そのいい人さが痛いというキャラ。イケメンには程遠くメガネに細い目だし。

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 それに同期になった仲間たちの色々なキャラが絡んできます。最初は喧嘩してたり、しっくりこなかったりしつつも、最後になるにつれ、除隊してそれぞれの 人生を歩みつつも、なおも連絡とり合ってたりして、結局はかけがえのない仲間なんだなあって味わいになっていきます。だから、これ青春群像ですよね。

 

すごい設定を意味不明化する末端の日常


 結構凄い設定やシーンもあるのですよ。アメリカ軍が開発した新兵器、操縦士が念力みたいに動かす戦闘ロボとか。精神波長の同調でどうしたとか、人間の底にある野性的で獰猛なパターンを取り出すために凶悪犯の脳を使って兵器化するとか。

 日本の極右が核テロをやって、金閣寺で抱えた核兵器を爆破させ、京都が跡形もなく消滅するとか。とんがったシーンもあります。

 

  京都テロ編はなかなかシュールでした

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 しかし、はっきり言って10巻中、9巻くらいまでは、表面上のストーリーは追えるんだけど釈然としない。なんでこんなことになってるの、何で彼らがこんなことやらされているの?

 最初の設定からしてわからない。中国に吸収された日本の自衛隊が、中国軍と「環東軍」を作り、主人公らがそこで新兵教練を受けているんだけど、その政治的軍事的構造がよくわからない。上官や教官も中国人だったり日本人だったりいろいろだし、中国が戦勝国として絶対上って感じでもない。

 でもって場面は転々とします。やれマラッカ海峡のタンカーの上でアメリカのリカオンという秘密兵器と戦ったり、カンボジアで地雷撤去の人道支援をやったり、京都でテロ対策で右往左往してたり。

 

 ちょっと前に紹介した漫画、KINGDOMは、このあたりの説明がずば抜けて巧い。どんな複雑な利害関係も一読了解にわからせてくれるけど、この「福神」は全っ然わからない。それは説明がヘタとかではなく、意図的にわからなくしているからだと思う。

 そしてその「わからない」感じこそがリアルであり、この漫画のテーマの一つだとも思います。

  

 何を言ってるかというと、戦争が起ころうが、何が起ころうが、僕らの目の前にあるのはいつだって「日常」だよなってことです。個人レベルの視界なんか、しょせんそんなもんだろという。でもそこで卑屈にならない。肯定も否定もしない。見えてる(見えないんだけど)視界で、自分なりにもがいていって、なんだかんだやっていって、ふと振り返ったら、それは自分の人生になってるという話です。

 

 「中国軍支配下におかれる」という国辱的な設定も、実際の現場に行ってしまえば、直属の上官は出世が大事だし、もっと上のレベルになっても同じように個人的な成功のためになんだかんだ画策してるだけだし、何がどうなってるのか誰もよくわからない。神の俯瞰は誰も得られない。

 

 結局やることといえば、「やれ」と命令されたことだけだし、なぜこれをするのか?についても通り一遍の説明しかない。そうだよ、考えてみれば、それが組織ってもんだよ。学校時分の修学旅行も文化祭も、なんでそれをするのかという根幹部分はいじらせても、知らされてももらえず、会社入っても「本社がそういうから」「上がそういうから」で、よくわかんないまま実務をこなすしかない。それが日常であり、それがリアルだろと。

 

 軍事モノの場合、神の俯瞰から実況中継が入ったりします。「予定より遅れて出発した第七機動部隊は、敵の後方を大きく迂回していたが、敵の索敵部隊に遭遇、、」とかわかりやすく全体が見える。でも、実際に僕らがそういう現場に行ったら、「行け」と言われるまま重い装備のまま歩くしかないし、考えることといえば、「次の休憩いつだ?」「もうダメ」「喉乾いた」「明日もこれかよ」とかそんなことでしょう。

 

 この「福神」という漫画の描いているのは、そういうミクロの視点でのワケわかんなさです。だから、トータルで何の話なのかわからんし、なんで半井(なからい)というヒロインが中国の軍法会議にかけられて、どういう政治的取引が上でなされているかもわからない。そして作者は、そこらへんを説明する気もない。

 かなり上層部に食い込んで、「政治」もこなす、デキる女っぽい王大佐も、結局はわからない。

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逆に浮かび上がってくる個人 

 そうなってくると、逆に、個々人のキャラや、想い、人間関係などが否が応でも前面にでてきます。

 どうしてこいつは、こんなこと言うんだろう。なんであいつはそこでムキになるんだろうなどの人間理解とか人間関係とかです。

 

 大局的な戦略とか状況とかは、個人のレベルからしたら、手が届かなさすぎてほとんどお天気とか自然環境みたいなものになってしまう。それは、僕らが小中高のとき、大事なのはクラスルーム内部の人間理解と人間関係であって、県の教育委員会が何を考えているとか、文科省のカリキュラム改訂がどうのなんて話は、背景事情のそのまた背景、お天気どころか季節、季節どころか気候くらいに漠然としているのと同じこと。

 

 除隊した半井が、あれから数年経過した戦友たちを訪ね歩いて、「あなたにとって、あの戦争はなんだったの?」という聞いて回るエピソードで物語の最終部分が語られますが、ある意味、必然でもあります。最初はなんでこんな部分が長々続くのかなと思ったけど、読み直してみて、こここそが肝心であり、それまでの部分はいわば「仕込み」なんだと。

 

 僕は、なんだかわからないまま社会や時代に翻弄されて、あっぷあっぷして生きてます。でも局面局面ではそれなりに色々思うし、思惑や希望もあるし、それが叶ったりコケたりし、それでまた何かを思い、、、と続けていきます。で、過ぎてみたら、「結局、アレはなんだったの?」という総括をする。

 

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良く分からない視界で、なんとなく確からしいなにか

 思ったのだが、この漫画は、90年代以降の日本のロックのある種の系統に近いテイストがある。いわゆる明るく元気なJ-POPじゃなく、B'Zとかそっち系のショービズロックでもなく、メタルやラップという様式化されたエリアでもなく、普通のシャツ来た普通の大学生が普通に演奏してますみたいなロック。くるりとか、サニーディとか、アジカンとか。あんま聴かないけど、意図やスタイルはなんとなくわかる。

 

 それは、虚構ではなく目の前の現実にあくまでこだわること

 や、虚構は虚構でいいんですよ。「かくありたい」「こういうのいいな」という理想を言葉や音で結晶化するわけで、それは一つのアートの方向性ですから。でもそっちにいかないで、自分のリアルにこだわる方向もある。

 

 リアルだから鮮やかなドラマや展開があるわけでも、何かに突き抜けてるわけでもなく、悶々と考え込んで、なんかちょっと分かった気がするんだけど、でも気のせいかも、、みたいな、その揺れ動いているさまを歌う。

 

 それはそれで決然としてロックだよなーと僕は思うのです。

 ジャンル分けされたり、テーマ性や記号化してほしくない、安易な理解や共感を断固拒否するという点で。

 

 現実がそんなにわかりやすいわけ無いだろ、

 そこでなんか分かった風にまとめちゃわないでくれる?

 大した展開もドラマもない毎日だけど、

 ふわふわしてる日常だけど、

 でもたまになんかあんだよ

 ときどき出っ張ってるところや、キラとするところとかあったりして、

 それでちょっと心がときめいたりするんだけど、

 それが何なのか良くわからない。

 でも確かにそう感じた。

 わかるのはそれだけだけど、でもそれでいい。

 そう感じた心の肌触りみたいなのが大事なのであって

 そのリアルさは大事にしたい。

 それに名前につけたり、

 「ああアレね」みたいに分かった気になって欲しくないし、自分もそうしたくない。

 

 それがこの漫画にも感じられるのですね。

 意地でもパターン化されたカッコよさにはいかないぞ、という。まあ、そんな力んだ想いが作者さんにあるのかどうかわかりませんし、あくまで自分なりに良いと思うものを作ってるだけなんだろうけど、その「自分なりに」の貫き方が凄いなーと思ったのです。

 

 リアルさにこだわってるからか、多少ずれた主人公が、少しづつ、ほんとに亀の歩みのようにたくましくなっていく過程がリアルで、ラストの方で、知らないところで不思議なNPOのリーダーになっている姿には百戦錬磨の逞しさすら感じさせます。

 

 でも、主人公に限らず、皆どっかズレてるんですよね。

 局面が変わるたび、だれか一人必ず心のサイズが違う奴がいて、そいつが適合できなくて「何やってんだ?」と罵倒されたりするんだけど、それを代わりばんこにやってるうちに、いわゆる相互理解というのが進んでいくという感じ。

 

 

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 やっぱこれ青春巨編ですよ。絵に描いたドラマ性がどこにもない、ぐちゃぐちゃで素朴なリアル。

 

 

※本家エッセイ830回に掲載したものを、画像とリライトをして載せました。

 

 

 

 



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