オーストラリア/シドニーから。
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音楽話:LOUDNESS デビューアルバム(一曲目の冒頭) ~解放された雄叫び

 

LOUDNESS デビューアルバム(一曲目の冒頭)

~解放された雄叫び

~業界(資本主義)に抑圧されたアーチストのルサンチマンとその解放

 

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Loudness "Birthday Eve"

 


ラウドネスは日本のハードロック/メタル界の草分け的存在で、まだ現役で活動しています。

僕にとってはなにかと思い入れの深いバンドです。なんせデビューアルバムから4枚目のアルバムまでは、ほぼ全曲ギターパートをコピーして、レコード一枚まるまる流しながら合わせて弾いていたくらいです。当時としては技術的にとんがってたし、弾いてて面白いのですね。

 

活動の拠点をアメリカに移して、ボーカルが替わった頃からあんまり聴かなくなったけど、結局、全編通していえば、デビューアルバムの冒頭一曲目、それも最初のイントロ1分間が好きです。ここだけは今聴いても燃えてくる。

 

いや技術的にいえば、そう大したことやってるわけではないです。フィードバック奏法にアーミングという、ジミヘン以来、ハード方面のエレキギターをやってる人なら誰でもやるような普通のことです。

 

それがなんでこんなに感銘を与えるかというと、長い長い理由があります。

 

ハードロック氷河期

時代的にいえば、このアルバムがでた1981年頃は、ハードロック的には閉塞していました。ビートルズとかパープルとかロック黄金の60年代後半から70年代前半のあと、ニューウェイブと呼ばれるパンクが出て来る一方、「ソフト&メロウ」といういかにも軟弱な一群、さらにYMOなどのテクノ系が出てきた。それらはそれでいいんですけど、ハードな音が好きだった人達にとっては、受難の氷河期のような時期が続いていたわけですよ。くそー、チャラいのばっかで、ゴリゴリの本物はないのかよって感じだったのです。

そんな不毛の荒野に突如現れたのがVan Halenで(78年デビュー)、超弩級にハードでしかもヌケの良い西海岸の音でした。あまりにも革命的だったので、以後それがデフォルトの音になってしまって、逆に今となっては何が凄いのかわからないというくらい凄かったです。ジミヘン以降の第二革命ですね。Before/Afterで時代が変わるくらい。以後、NWOBHMNew Wave Of British Heavy Metal)ムーブメントになって、アイアン・メイデンとかどっと出てきた。

 

日本はどうなってるかというと、相変わらずハードな音をだすバンドは表に出てこれるべくもなく、テロリストのように「地下に潜って」やってるしかなかった。ただ抑圧が激しかっただけに、地下のマグマのように悶々エネルギーが溜まっていきました。

 

 そこに一筋の光明のように表舞台に出てきたのがラウドネスで、あの当時によくこんな音でメジャーデビューできたよなーって気がします。ラウドネス以降、なだれをうったように日本のメタル勢が出てきたのですが、それでも絶対数としては少ないので、ラウドネスやそれ以前から頑張ってたB(V)ow Wowにしても、知る人ぞ知るくらいで、売上そのものは大したことなかったのでしょう。

 

音楽産業への抑圧ルサンチマン

この抑圧ルサンチマンは結構根深いと思います。それ以降の時代も、日本のメタルは、聖飢魔II筋肉少女帯のようにどっかしらコミックバンド的、色物的な話題性がないとメジャーに出てこれなかった。X(昔はjapanはつかなかった)だって、完全色物扱いでしたしね。要するに、変なカッコしたチンドン屋みたいに屈辱的な扱われ方を余儀なくされていたという。売れたら売れたらで、今度は「ビジュアル系」とか、なにか「プラスアルファ」や付加価値をつける、逆言えば純粋に音だけで売る/売れるという状況は、まあ難しいのでしょうね。

 

だからなのかもしれないけど、逆にメタルは一部の狂信者のような支持者によって広がり、分岐していった。世界的にもそうですけど、普通の楽曲を激しく演奏するくらいのハードさではなく、曲の情緒性や叙情性を排してゴリゴリしたハードさを追求していくスラッシュやデスメタルなどを生み出したりして現在に至ってます。「ヘビー・メタル(重金属)」という用語は、多分70年代初期の頃、NY系のバンド(KISSとかエアロスミスとか)を示す一過性のフレーズだったのに、その後半世紀たってもまだ生き残ってるということは、それだけ抑圧屈辱のエネルギーが強かったからとも思えるのです。

 

これはメジャーな音楽産業そのものへの反発にもつながります。マーケティングで売れりゃいいんだという、アートを扱ってるくせにアート魂のない企業方針に、多くのアーチストやリスナーが反発したもんです。「ベストテン」「ヒットチャート」とか、何が売れてるとか、アートの世界に「多数決の原理」を持ち込むという戦略、要は自分らの都合の良いようにカルチャーそのものを変えていこうという天に唾する傲慢さ。そのアンチテーゼとして「インディーズ」という対抗カルチャーが強烈に出てきたし、路上ライブや、ネット配信だけでやっていくアーチストも増えた、

 

以後、ネットの普及によって世界のレコード会社が潰れそうになってますけど、僕だって同情しないもん。ざまあって感じ。XのYOSHIKIがインタビューに答えてましたが、東京のライブハウスの帝王的なところまでいっても、最初もう話にならないくらいメジャーなレコード会社の反応は悪い、なかには「全員髪を黒く染めて、短くして、男性アイドルグループとしてなら売ってやる」とか言われて、ブチ切れて席立って帰ってきたとか。そんな扱いですわね。

 

逆に言えば、いかに音楽専門業界が金に目がくらんで、いかに音楽をわかってないか、いかにリスナーの嗜好が見えてないかです。その怒りは、例えばXの故hideが「Doubt」という曲で「顔も知らぬヘノヘノモヘジの貴様らのツラにゃ、食い残しの音符がぶら下がってるだろうよ」と痛烈にディスりまくり、自分らのことを自虐的に「涙目で哀願する歌うたいの蛙ども」「お預けチワワのまんまじゃ、割があわねーぜ」と歌い、忌野清志郎も、なんて曲名だったか忘れたけど、「コンドー(という固有名詞まで出して)、また若者が~とか俺に言うのか?出て行け、俺の世界から」と歌ってます。RC時代「失礼するぜ」でも「せっかく絞ったジュースも、水で薄めて横流しされちまう」と歌ってる。ほんと恨み骨髄って感じ。

 

まあ、冷静に考えれば、現場に携わっておられた方々が全部そうだったわけでもないでしょうし、溢れんばかりの音楽愛で仕事をされていた方も多数おられるとは思います。しかし、直のアーチスト当事者としては腹に据えかねることも多かったでしょうし、僕らリスナーからしても、会社や業界の全体として方向性に不満はありました。だから、なかなか冷静にはなれず、怒りばかりが先に立つという。

 

レイジーからラウドネスの流れ

さて前フリが長くなったけど、そんな状態で、大阪の高校生バンドだった樋口、高崎くん達5人はスカウトされ、「レイジー」という名前のアイドルとして売りだされました。ラウドネスの前身です。1.5流くらいにしか売れず、僕は知らんかったのですが、当時の僕の彼女は知っていた。「わたし、好きだったよお。スージー(当時の高崎晃氏の源氏名とかいってて。もうレイジー時代なんか、ラウドネスからしたら黒歴史だろうなー。

 

もともとハードロックバンドで、腕もレベルも高い連中が、だんだんハイティーンになってきて「大人」にモノが言えるようになったのか、あんまり売れなくなってきたから会社側の管理もいい加減になってきたのか、彼らの最後のアルバムが、アイドルらしからぬハードロックな一枚になりました。

 

当時、都市伝説みたいな噂話があって、僕ら硬派系のロックな男連中は、アイドルバンドなんか軽蔑の対象でしかなかった、でも彼女につきあわされて渋々レイジーのコンサートに行った奴は、帰ってきたら彼女以上に興奮して「すげえ、すげえ!」と夢中になるという。

 この話は、僕も直に聴いたことがあって、ホントかよ?フカシこいてんじゃねーよとか半信半疑だったけど、この最後のアルバム「宇宙船地球号」が出て本当だったのが判明。

 もう地下テロリスト状態だったハードロッカーは狂喜し、このアルバムの一曲目のDREAMERを完コピできたら一人前とか言われたりもしました。当然僕もコピーしました。当時は楽譜が少なかったので、耳コピーがデフォだったんですけど、一週間くらいかけて。

 

まずイントロでぶっ飛びましたね。Eコード6弦開放という超定番なんだけど、フランジャー(音を揺らす効果)をギンギンにかけているし、音質も音量もハードロックの音でしたから。でもって、しつこいくらいに複雑な曲展開といい、それまでの鬱憤を晴らすように全編弾きまくってるギターといい。

アイドルグループなんか、自分で演奏しなくて、歌って踊ってればいんだけど、それを自分らで演奏して、しかもこんな意地クソになるくらい弾いている。笑いましたし、快挙ですねー。お約束の銃撃シーンなはずなのに、こいつらだけ実弾でバンバン撃ち込んでるみたいな感じで、超シュールでした。今の基準では到底「ありえない」現象です。

 

以下、その部分を抜き出しておきます。↓

あ、最初10秒くらいは無音で、いきなりイントロ音が入りますから気をつけて。

イントロとギターソローです。

 

 

もっとも、そうはいってもロックしてたのは、ギター(高崎)とドラム(樋口)くらいで、トータルで言えばまだ甘い感じはしました。「アイドルにしては」という感じ。


で、案の定、レイジーはめでたく解散。樋口・高崎コンビがオーディションをして新結成したのがラウンドネスというバンドで、待ち望んでいたデビューアルバム発売になりました。

 

もーね、「固唾を呑んで」という表現のとおり息をこらして聴いてたら、最初に聞こえてきたのがこのフィードバック&アーミングで、やったあ、きたー!って。

 

フィードバック奏法~天に昇る龍な感じ

男の子にとって、エレキギターというのはバイクと並んでフェバリットアイテムでした。凶器になりうるくらい圧倒的なパワーと暴力性を持ってるわけですからね。「銃や刀を持たされて目が輝かない男はいない」って言われますけど、どんな草食系だろうが、日本刀ひとふりポンと渡されて、お前にやると言われたら、多少はなにかが変わるでしょ。

 

エレキギターの男の子的な魅力は、音の暴力性にあり、美しい予定調和の破壊であり、それらは天才ジミヘンによって開発・発展されてきた。過大入力によって音を歪ませるディストーションサウンド(三味線みたいなペンペラ音ではなく、グギャ、ゴリッという音)であり、曲の調性無視の音程変化アーミングであり、このハウリング一歩手前のフィードバックです。これらはクラシックやアコースティックギターでは構造的に出来ない、邪道のような奏法ですが、それだけに爆発的な感情表現には向いている。だいたいギターでこんな音が出せるなんて、やってない頃には想像もしてなかったですけど、自分でこの音出せたら、そりゃもうすげー快感ですよ。一度はやってみ、って感じ。

 

「フィードバック奏法」というのは、「コントロールされたハウリング」みたいなものです。ハウリングというのは、カラオケや結婚式スピーチでマイクを持ってると、ピー!キー!という甲高いノイズが鳴る、アレです。


あの暴発的な音、あのエネルギーをコントロールするのがフィードバック。エレキのボディに設置されているのは高機能のマイクロフォンで、それが弦の小さな音を拾って拡大するのですが、そのマイクが、アンプから出ている自分の音を拾って、それをまた出力して、それがまた入力になってという繰り返し(フィードバック)。やってるうちに制御できなくなってハウリングになる。

 

これはある程度音量がデカくないとダメです。半径50メートルに響き渡るくらいの大音量だといいんだけど、そんなの自宅ではなかなか出来ない。近所迷惑すぎる。だからコンサートや練習スタジオで遊ぶんですけど、音量やら、アンプと自分の位置、角度やらによって違うので、これをコントロールするのは中々難しいです。でも出来ると、一つの音が永遠に続くのでめちゃ気持ちいいですよ。それを微妙に不安定にして、音程が上がっていってハウリングになる寸前くらいに維持しながら、そのスリリングな感じを出していくとロック感が盛り上がります。コンサート会場でよく聞く音と雰囲気になります。

 

このイントロはまさにそれで、ギターのボリュームをゼロからあげていくと、途端にハウリングを起こしそうになっていく。そこで1弦12フレットの音(E)を弾いてから、アームダウン(ギターにくっついてる棒(アーム)で強制物理的に音程を下げる)して低音まで下げきってから、ぐっちゃぐっちゃなマグマが沸騰してるような音にしていく。その繰り返し。

 

背景には、フィードバックからハウリング起こすくらいのスリリングな部分だけを録り、それにエコー処理をした音が鳴り続けるのですが、ここがカッコよいのですねー。特に、リフとボーカルが入ってから、徐々にアームダウンで音程を下げていくところが一番鳥肌たちます。あたかも巨大な航空機がゆっくりと着陸していくようなスケール感があって。

 

技術的には定番なんだけど、普通メジャーアルバムでここまでムキになってやる人はいないし、それを冒頭一曲目のイントロで臆面もなくやっちゃうところが「若気の至り」でもあるけど、それ以上に「おお、めちゃ気合入ってるじゃん!」と感じた。

 

それは「大人の事情」で抑圧されてきたものが、ついに解放された!という喜びが響き渡ってるように聞こえます。解き放たれた龍が喜び勇んで天に昇って、また下って、うれしさのあまり転げ廻っているような。

 

同じようにイントロの部分と、ギターソロの前半だけを抜粋して載せておきます。

 

 

 

この曲、祭り囃子のような超シンプルな原始的なリフもいいですが、後半のギターソロもいいです。ほとんどエフェクターで音をいじくってないシンプルな音で、録音も当時だからしょぼい。フレーズも、当時新技だったらライトハンドを「やってみました」的に入れてたり、まずは普通のフレーズです。そんな目新しくないし、凄いこともやってない。コピーするだけだったら出来るんだけど、でも、なかなか「こんな感じ」には弾けない。よくあります。メロディは弾けるんだけど、音楽にならない、表現にならない。

 

今聴いてもやっぱ上手いなこの人と思うのは、ミスピッキングの無さというか、弦を弾くときの力の強さです。半端なく強い力で弾いてる。でもこれだけ強いとミスピックも多くなるし、音も団子になりがちなんだけどそうならない。

 

それだけの強さで弾きつつ、全体に感じられるのは、つんのめるような、もうパワーがあり余ってどうしようもないって感じ。レーシングカーが、大出力のエンジンゆえにケツ振りながら発進するような力感です。そのためリズム的にはちょっと「喰ってる」感じ、一小節4音のところに勢いあまって6音入れちゃうくらいの無茶なパワー感がある。同時に、暴れようとする猛犬の鎖を必死に引っ張っている「抑えている」感じもあります。この喰ってんだか、ためてるんだかわからん不安定なリズム感があって、それがまた全編通じて鳴っている「解放の叫び」的なイメージにつながる。嬉しさを噛み締めながらスキップしてるみたいな。

 

考えてみれば、このアルバムを出した当時、彼らはまだ20歳そこそこです。ちなみにギターの高崎氏と僕はタメ年代です(学年同じ)。ギターの腕は太陽とバクテリアくらい違うんだけど、でも、自分の学校の代表選手がゴールを決めてくれた的な感慨はありました。

 

このアルバム、擦り切れるくらい聴きましたが(完コピしたし)、でもこの一曲目「LOUDENSS」というバンド名と同じタイトルの曲が秀逸です。リフのシンプルさ。構成もシンプルならば、音も殆ど重ねてない。スタジオで練習してるのをそのまま聞かされているみたいな感じなんだけど、それだけにロックバンドが本来持ってる原型がよくわかる。荒削りなんだけど、荒削りだからこそ良いという。これを洗練して演ったら全然つまらない曲になっちゃうような気がしますね。

 

このアルバムのあとの曲はですね、うーん、さすがに勇み足ちゃうかな?って曲もあったりするし、微妙なんですよね。この頃は録音がしょぼいから可哀想そうなんだけど。今聞き直すとしたら一曲目のLOUDNESSくらいです。

 

 ラウドネスは現在にいたるまで長い歴史を持っていて、当初はアイドル上がりってこともあって、めちゃスリムでカッコ良かったんだけど、今は「じゃりんこチエ」に出て来るむさいおっさん集団みたいになっちゃったんだけど(それは自分も同じだよな)、でもやり続けるのはすごいです。樋口さん他界しちゃったあとも。

 

腕的にはどんどん上がっていって、途中から別次元的についていけなくなったんだけど、でも一番ヘタだった筈のデビューアルバム一曲目が、やっぱり自分は一番好きですね。

 ここで「アーチストは一枚目を越えられるか?」というテーマもあって、それはまた書きたいです。

 

  

 

 

 

 

 



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