オーストラリア/シドニーから。
APLAC/SYDNEYの別館。漫画紹介や趣味系の話をここにまとめて掲載します。

豊穣なる言海 ~「月に吠えらんねえ」

~戦争=屈折したコンプレックス=近代日本精神に殺された日本の近代詩

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  清家雪子 月に吠えらんねえ 

 

異色の作品。
明治以降の日本の近代文学に対する愛情がメガ盛りで、あまりにも詰め込みすぎてパーンと弾けて飛び散ってるような作品です。

特に第一巻は弾けまくってて、本当にただの同人誌というか、オチもテーマもないままの趣味全開!という感じで、僕も二巻目以降を読むかどうか微妙に悩んだりもしました。が!2巻目以降になって、徐々に(夢幻ミステリ仕立てだが)筋やテーマらしきものが見えてきて、巻が進むに連れて堂々たる文学論になっていきます。読ませるし、なるほどねーと思った。

この作品には幾つかの魅力が並行して走っています。

百花繚乱の日本近代文学
改めてみると、やっぱり凄い時代だったんですね。江戸時代まで、物語といえば東海道中膝栗毛とか、俳句や和歌とかそのくらいだった日本文学が(本当はもっと名作があるんだろうけど)、文明開化の明治以降、綺羅星のように言葉の天才たちがどっと湧いて出てきた。活版印刷による流通革命もあったんだろうけど、なによりも身分社会が崩壊して誰でも参加できるようになったというのがデカいのでしょう。

この作品の中にも国語の教科書で誰でも知ってるような巨人たちが沢山でてきます。そのデフォルメや性格設定、細かなエピソードも絶妙。

また、設定が、時空間を越えた不思議な世界で(詩歌エリアと小説街に区切られている)、そこでは時間を越えて作家同士が交流する。だから「夢の対談」のようなゴージャスな展開もある。

主人公の詩人萩原朔太郎と、師でもある北原白秋、そして朔太郎の親友の室生犀星については、ストーリーやテーマの語り部としてかなり変容されてはいますが、その他のキャラは、「ほほう、なるほど」と笑みが浮かびます。


例えば、スーパースターのチューヤ君(中原中也)と、長谷川泰子小林秀雄の不思議な三角関係

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たとえば、その才能きらめきで愛する夫(与謝野鉄幹)に立ち直れない傷を与えてしまったアッコさん(与謝野晶子

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龍くん(芥川龍之介)と萩原朔太郎の対談が読ませる

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朔太郎と中也

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萩原朔太郎室生犀星f:id:aplac:20180407141153j:plain

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「故郷は遠くに在りて思うもの」ですが、一見甘美な感じがしますが、実はとてもとても苦い詩です。東京に出て行き詰まった室生犀星が故郷の金沢に帰って援助金策をしたけど全然ダメダメで、故郷への甘い感傷が木っ端微塵になってしまった。故郷なんてものは、遠くで懐かしく思ってればいいんだ、実際に帰ったら幻滅するだけ、「遠き都に帰らねば」というのが結論だという。


豊穣なる言葉の海
登場人物同士の会話もいいのですが、頻繁に引用される作品がいいです。
こんなことでもないと目にしない珠玉の名文が読めるのですから。

巻末に参考文献がずらーっと並べられているのですが、ものすごい数。国文学部で卒論書いてるみたいな。以下の参考文献の頁は一巻のものですが、これが4頁続きます。f:id:aplac:20180407142410j:plain


いじけた近代日本精神と戦争で殺された日本文学

一巻から町外れの丘に奇妙な首吊り死体がぶら下がっていて皆であれこれ推測してるのですが、これが意外とキーポイント。
近代日本の歪んだ自意識、いじけた日本精神のようなもので、それが子供の姿になって朔太郎に侵入し、朔太郎を女体化し、北原白秋とのヘンテコな恋情になり、、というよくわからない展開になります。

あとになるほど朔太郎自身の口から語られてきて分かるのですが、日本が戦争にとりつかれて狂っていくなかで、文学もその影響を激しく受ける。特に、マッチョな戦争カルチャーになってしまったら文士は「文弱の徒」として蔑まれる。一方で、政府の企む「戦意高揚」のために文学が利用される。格調高い名文で戦争をたたえたり、親しみやすい文章で軍歌を作らされたり。

その過程を朔太郎が語っているのですが、すごいなるほどーと思った。

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国家や権力の要請によって芸術が捻じ曲げられるのは、日本の戦前だけではない。
ルネサンス以前の欧州の暗黒の中世1000年間は、文学もビジュアルアートも音楽もすべて宗教的権威をよいしょするという目的で用いられた。その枷が外れたのがルネサンスで、一気に天才たちが野に放たれた虎のように疾駆した。

中国でもあらゆるアートは儒教絶対というドグマがあり、それを個人が好きに表現すれば良いという突破口を作ったのは三国志に出てくる魏の曹操だともいいます。

ある意味では非常に普遍的な(でも悲しい)現象なのだが、では本作の場合、つまり近代日本の場合、その精神のコアにあるのがなんなのか?というのが、実はこの作品のテーマなんだと思います。めっちゃ深いし。

そこで寓話的に出てくるのが、

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これが幕末から文明開化の日本であると。
西欧コンプレックスの塊であり、コンプレックスと屈辱感がどこよりも強かったがゆえに、気違いじみた大革命である明治維新も行えたのでしょう。よっぽど心に傷をおってなかったらあそこまでできんよってレベル。

その屈辱感から逃れるために追いつき追い越せで軍国主義にも走るし、傷たらけの心を慰めるために「日本すげー」的な、夜郎自大な発想になる。根っこが感情だから、論理的な討論にもなじまないし、政治過程としても結実していかない。
戦後は、アメリカに叩きのめされたコンプレックスがまた原動力になるということで、その心象風景はなにも変わらない。

だとすれば明治以降の日本のコアになるコンセプトは?といえば、極めてナイーブで、ささくれて、いじけた「心」であって、論理的なものではないし、また哲学的なものでもない。はなはだ気分的なもの。

この屈折した感情が近代日本精神になってしまい、この作品では町外れの縊死体に形象化され、その中に無数の怨念が巣食い、それらが西欧流の個人の自立による純粋芸術たる詩世界を望んだ朔太郎に取り付いていく。

朔太郎の目指した詩歌は、それが詩歌である以上、本質的に感覚的であり、感情原理で成り立っている近代(現代)日本に波長があってしまうというこの皮肉。

あれほど素晴らしい孤高の作品を生み出す豊穣な言霊世界を紡ぎ出しながら、戦争(いじけたコンプレックスの慰謝活動)に搾取されていってしまった。


ということで一見おちゃらけた作風でもあるのですが、実はディープな真面目な論文でもあるこの作品、2013年から月間アフタヌーンで連載開始、今も連載中です。単行本は8巻まで出てます。正直こんなに続くとは思ってなかったのですが、ミステリ仕立てなのがどんどん核心に迫ってるってところです。

日本文学がお好きなかた、あるいは興味なくても日本語という言語の豊かさに触れてみたい方にはオススメです。
ディープなテーマは、よく分からんですっぱり無視したとしても、日本近代文学傑作選(さわりだけ)という意味で、気楽に読めて良いです。





 



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