漫画紹介:[森薫] 乙嫁語り~「嫁心」と「里心」
漫画紹介:[森薫] 乙嫁語り
~異文化だけど懐かしい
この漫画はフェバリットなので何回かに分けて書きます。巻によってテーマも変わっていきますし。 10年前の2008年から連載開始し、今も連載中です。
一見すると教養漫画
Wikiによると、知る人ぞ知る名作で、マンガ大賞受賞(他に2位が二回)、書店員が選んだおすすめコミック3年ノミネート。海外でも評価されていて、フランス・アングレーム国際漫画祭2012、世代間賞受賞。アメリカ・全米図書館協会、10代向けグラフィックノベル・ベスト10選出、だそうです。
内容的には、19世紀後半の中央アジアの遊牧民族の文化や人々の暮らしを描いたもの。
19世紀後半というと、日本の明治時代ですね。明治維新(1868)~日露戦争(1904年=20世紀初頭)だから、そのくらいの時代背景です。
中央アジアというのは、なんたら「スタン」がやたら固まってるエリア。カザフスタン、キルギスタン、アフガニスタン。
以前、エッセイで世界シリーズを延々2年がかりで調べて書いてて、その68回目に「中央アジア諸国~シルクロードの国々」 を書いたのですが、そのとき説明用に自分で作った世界地図を掲げておきます。
このように、位置的にも時代的にも、現代日本からあまりにもかけ離れているので、NHKやBBCの知識教養番組みたいな感じ、立派すぎてとっつきが悪いと感じる人もいるでしょう。たしかに「安心してお子さんに読ませられる」という健全な作品でもあります。
しかし、それを越えて余りある普遍性がありますし、単純に漫画としても面白い。
全くの異文化なんだけど、しかしなぜか懐かしさを感じさせる。それは、およそ人だったら理解できる普遍性、共通性があるからでしょう。
この漫画は、一貫したストーリーがあるというよりも、個別のエピソードを丁寧に描いています。最初は、遊牧民族の部族間の結婚のリアルや部族間闘争なんかも出てきます。次に、当地に研究(探検)に訪れたイギリス青年と現地の未亡人との悲恋物語があり、姉妹と兄弟のダブル結婚があり、さらに女性同士の友情婚(姉妹婚)があり、なにかにつけて不器用なパミラさんの涙ぐましい婚活物語があります(今ココ)。
そういったストーリーとは別に、家族代々受け継がれるものや、その地における職人の姿、狩り、そしておいそうな食べ物などなど、さまざまなトピックが、実に丁寧に、しかし押し付けがましくなく描写されています。
それを読んでいると、自然と文化や生活、家族、結婚、、、ひいてはこの地球で、人が集団で暮らしていくことの意味、生活というものの本質など、とても普遍的なことまで感じさせてくれます。そこがいいんですよね。
作者の森薫さん(女性)は、この中央アジアが大好きみたいで巻末にその想いをぶち撒けてるページがあって楽しいです。なんというのかな、文化に対する愛情がとても豊かなのだと思います。
全然馴染みのない文化なんだけど、でも民族衣装でもなんでもカッコイイなー、いいなーって感じさせてくれるのは、そのデテールへの深い理解と、愛情あふれる書き込みによるものでしょう。
最初にいいなと思ったのは、絵がきれい、ってことです。
女性作家らしい繊細さはそのままに、躍動感のある活写、登場人物の描き分け(老若男女など)がしっかりしてるし、安定した筆致だし、なによりも「嫌味のなさ」です。見てて生理的にひっかかるような部分がない。生理的な嫌味がそのまま長所や武器になる作品もあるんですけど、この作品はどのページを見ても、読んでて気持ちいいです。これが一番大きいかな~。
8歳年上の姉さん女房
さて、今回は最初の部分、主人公のアミルさん(嫁さん)、カルルクくんの新婚ぶりを書きます。
8歳も年上の姉さん女房のアミルさんなのですが、この人が、聡明だわ、人付き合いは如才ないわ、素直だわ、美人だわ、家事どころか狩りなどスポーツ万能だわという、なんでもできる学級委員長みたいな女性です。
さて、当時の部族結婚ですから、日本社会でもそうでしたが、まずは家長(父親)が仕切る、家と家の付き合いになり、十代前半で普通に結婚する。このあたりは中央アジアも日本も同じ、おそらく世界的にも似たようなものだったのかもしれません。マリーアントワネットも14歳で結婚してるし。
そんななかで8歳も年上、20歳で結婚というのは遅すぎるわけで、アミルさんちょっと立場悪いのですね。当時は平均寿命も短いし、どれだけ子供を産んで育てられるかが貢献度になってたわけですし。
でも、迎え入れる家の人たちはみな優しくて、快く受け入れてくれる。
そして、まだ小学六年生くらいの旦那のカルルク君もえらくて、
結構いい男なのですね。将来が楽しみな。でも、基本、まだ子供だという。
嫁心
そのなかで、「嫁心」というキーワードが出てきて、それがピピとひっかかりました。
アミルさん優等生だし、よく頑張るんです。カルルク君が風邪ひいただけで、もうおろおろして半泣きになるくらい真剣。
ここで、一家の重鎮であるばーちゃんが諭してくれるんだけど、このばーちゃんがカッコいいんだわー。他にもカッコいいシーンが出てきます。
余談ながら、昔の方が、老人が輝いてたというか、まあ老人といっても50歳かそこらだったんだろうけど、一番物知りで、技術力もあって、肝っ玉も座ってるから、ご意見番になる。「長老」とか「大殿」「ご隠居さん」の時代ですね。多分、そんなに世の中変化してなかったから、昔の知識がそのまま通用したのでしょう。20世紀以降になると物凄い勢いで世の中変わるから、老人=時代遅れという残念な部分もでてきてしまうのでしょうが。
さて、そうやって頑張っていたお嫁さんのアミルさんですが、最近様子がヘンよと。
その話を、スーパーばーちゃんにいうと、ばーちゃんが、「嫁心ついたね」とつぶやくし、お姑さんも、ああそうかと得心顔。
ここで問題です。このばーちゃんが言った「嫁心ついた」というのはどういう状態のことを指すのか?あなたの考えを述べよ。
僕も最初読んだときは、「うん?」って分からなかったし、それ以上なんの説明もなかったんだけど、少し考えたら、だんだん「ああ、そういうことか」とわかったような気がしました。
これ、オーストラリアや海外に暮らしはじめて数ヶ月目に感じるのと同じだなと。
最初は新しい環境、なにもかもが違うアウェイ環境です。そこで必死に周囲にあわせて頑張ります。優等生のアミルさんは、いっそう優等生になります。
だけど、だんだんそういった緊張がとけてくる。新しい環境に馴染んでいき、それが「異物」ではなくなっていき、自分と環境が一体化していく。
知らない家に一人でやってきて、お嫁さんという初めての重責を担うのですから、最初の違和感というのは半端ないでしょう。でもそれがだんだん馴染んでくる。
ここが「他人の家」ではなく、「自分の家」になっていく。
それまでは「良いお嫁さんになるんだ」って感じで、自分と嫁は別存在で、なんとかそこに近づけようとしているんだけど、あるときから、自分=嫁になって、自分が自分であると思うことが、嫁であることにもなり、ストンと腑に落ちるのでしょう。
これは嫁でなくても何でもそうだと思います。
学校も職場も、最初は違和感バリバリだったなんだけど、しばらくしたら「俺の場所」「私の居場所」になり、自分そのものになっていく。
この漫画でいえば、アミルさんの中でその融合一体化が進み、どっかの地点で吹っ切れたんだと。たしかに吹っ切れた顔してますしね。
そうなると、夫のカルルク君とも、心から打ち解け、幼馴染のような友達みたいになっていく。いい子を演じる必要なんかもうない、気に入られる良いお嫁さんにならなくてもいい、自分はもう体現しているし、自分は自分でいいってなったのでしょう。
それをばーちゃんは「嫁心がついた」って表現をしたんだというのが僕の解釈です。
これに対置するものとして、昔からある言い方が「里心(さとごころ)がつく」です。異郷で頑張ってるんだけど、あー、もう疲れたよ、なにもかも馴染んでいる懐かしい故郷に帰りたいよ、おかあさーん!ってホームシックになることを、里心がつくといいます。
僕のように、子供の頃から転居が多く、また海外に20年以上住み、海外にやってくる人のお世話をしてますと、このあたりの感覚はとても身近なものです。誰でも、ときにはメゲて疲れて里心がついたり。でも馴染んで、「嫁心」(的な)がついて「帰りたくないよー」になってみたり。
ね?異文化なんだけど、異文化じゃないのですよ。