オーストラリア/シドニーから。
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音楽:[Beatles] She's leaving home~世代も時代も越えた、成熟した視点が深すぎる家出ソング


音楽:[Beatles] She's leaving home

~世代も時代も越えた、成熟した視点が深すぎる家出ソング

~良かれと思って否定してしまう怖さ 

~でもって、リスニングの練習に最適

 

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ビートルズの中でも超地味な曲にスポットを当てます。

この曲、どってことない曲だとずっと思ってました。
「20世紀の超名盤」と言われたら必ず入ってくるSgt. Peper's Lonly Hearts Club Band」というビートルズのド有名なアルバムに収録されているのですが、どっちかといえば「箸休め」みたいな小品で、あんまり印象に残らない曲です。

 

ところが、オーストラリアに住み始めた後、たまたま耳にする機会があり、多少は英語もわかるようになってたので歌詞がある程度聞き取れたのですね。とても易しい英語だし、ゆっくりテンポだし。これ、初級から上級までリスニングの練習に最適な曲だと思います。上級者は、90-95%くらいまでは難なく聞き取れると思いますが、あとの5~10%が意外と聞き取れてなかったりします。

 

で、意味が頭に入ってきたら、「うわ、これ、とんでもない曲じゃないか!」とびっくりしました。

 

時代背景~世代間戦争と文化大革命

世代間ギャップというのはいつの時代にもあります。現在でもあるし、エジプト王朝にもあったというのは有名な話。でも、直近百年くらいでいえば、ビートルズ全盛期の頃、60-70年代の団塊とか、学生運動とか、ウッドストックとか、いちご白書とかすったもんだやってた時期が一番ギャップが激しかったと思います。個人的には、僕のお兄さんお姉さん世代です。

 

あれだけガチに価値観が対立し、喧嘩腰でガンガンぶつかっていったのは、多分あの時代が一番先鋭的だったと思う。
その頃の若者(今の60-70代)のさらに親の世代というのは、かなり昔風の硬直的な価値観で、今でいう「上から目線」なんてレベルではなく、パワハラとかいうハラスメントなんて甘いレベルですらなく、もう直接的な「暴力」、ダイレクトな「圧制」に近い感じだったんじゃないかしらん。「つべこべ抜かすな!」「絶対に許さん!」で話し合いも相互理解もクソもないという感じね。

 

アメリカでは、ベトナム戦争が長期化して反戦平和運動が起きたり、ヒッピームーブメントが起きたり、反物質・反商業主義、自然回帰志向、性の解放(フェミニズムLGBT)と広がって、それは今でもリニューアルして続いてますよね。今だからこそ!みたいな部分もある。


以前、英語の勉強のためにTIME誌を無理して読んでるとき、特集記事で「アメリカ人は”だらしなく(sloppy)”なったのか」という論稿がありました。新旧の写真が対比されてても面白いんだけど、90年代時点で、アメリカ人の平均がTシャツに短パンにビーサンみたいな感じなんだけど、50年代以前になると、日曜日には必ず教会行って、小さな子供も七五三みたいにネクタイ半ズボン着て、お父さんなんか自宅カジュアルですら今の殆ど正装みたいな感じだった。

日本でも、一家でちゃぶ台で晩飯食うにしても、父親以外は全員正座。家長に接するときは常に正座。女の子は常時正座。口答えしたら鉄拳制裁(笑)。ま、そこまでひどいかしらんですけど、僕の知り合いの女性(今60代)は、器械体操とか好きだったんけど、女が股を広げるなどけしからん!の一言でボツにされました。僕のカミさん(同い年)ですら、いい数学脳保ってるんだけど、女には必要ないで女子短大に行かされたという。個人の意向なんかゼロ同然みたいな。

 

長々書いたけど、そんな感じだったんですよ、局所によって程度の差はあるでしょうけど、大雑把には。だから長髪で、ロックやって、家出して、上に世代に対して決然と中指立てて、警官隊とガチで殴り合いをやってた時代というのは、本当の意味で「文化大革命」だったんじゃないかなーって思うくらいです。

そんななか、ビートルズというのは若手革命派からみれば旗手であり、カリスマであり、オピニオンリーダーでもあったのでしょう。最初はマッシュルームカットで、きちんとスーツ着て演奏して、一曲終わるごとに深々とお辞儀してたバンドが、どんどん音楽もスタイルも自由になって、新しいカッコよさと世界や価値観を示していったわけですからね。


世代と時代を越えた成熟した視点

そんな中で古い家庭から、若い娘が家出をするという状況を歌ったのがこの曲です。さぞや中指ピーンの挑発的な曲になるかと思いきや、ものすごーく成熟した視点、親の立場にも深いシンパシーを入れています。

 

そんな「自由だー」とか調子コいてないで、親御さんの気持ちも考えろよ、どんだけ悲しいか想像しろよってことなんだけど、だからといって旧体制バンザイでもない。旧体制だから、保守だから、親だから正しいっていう視点ではなく、子供のことを一生懸命考えて育てていた一個の人間の人生、その気持ち、それはそれで尊重すべきだよって視点です。世代論でモノ言ってるわけではないよ、と。

 

家出ソング系は沢山あるのですが、大体家出する側の視点で、「いざ新しい世界に船出だー」ってフォーマットで歌われます。「家出された親はどう思うか?」という視点で歌われた曲って、他にあんまり記憶がないのですが、なにかありますか?

 

それも繰り返し繰り返し、親の悲嘆が綴られます。書き置きを読んだ母親が泣き崩れ、まだイビキをかいてる夫に泣きじゃくりながら”Our Baby's gone"と訴え、「自分たちのことなんか考えずに、この子のためだけに生きてきたのに」「生活を必死にやりくりして不自由のないように、全ての犠牲にして、ただただこの子のためだけに生きてきたのに」「あの子は、なんでこんな心無い仕打ちをするの?どうしてそんなことが出来るの?」と美しいコーラスながらも切々と訴え、あるいは自問自答する歌詞は、聴いてるうちにどんどん胸に迫ってきます。

 

お母さんかわいそーって思っちゃうんだけど、だからといって、その親視点が正しいといってるわけでもない。結果的に子供に届いてにないわけだし、それ以上に子供を深い孤独に押しやっているんだと。あの子は”Money can't buy"(お金で買えないモノ)がほしかったんだよ、と。

 

ここが世代論どころか時代すらも超越するところですが、あれだけ親がなにくれとなく面倒みてたんだけど、子供は家を出る。それも、"after living alone, for so many years"「長い孤独な生活の末」に家を出る。

 

この部分、リスニングしてるときは聞き流していた部分でもあり、今回訳してて「え?」と思ったところです。「あれ?娘は一人暮らししてたんだっけ?」「いや違うよな、親と同居だよな、でないとそもそも”家出”にならんし」「一緒に暮らしてて、なんで「孤独」だったんだろう?」「あ、そうか、なるほどー」と。

 

ここが凄いところです。孤独どころか過干渉なくらいの親元に暮らしてきたのだけど、でも「孤独」だと。そして最後に、"Something inside, that was always denied, for so many years" 心のなかの「なにか」は、これまで長い間、常に(親に)否定されてきたとまで言います。

 

娘が家出をしたのは、単に親世代が「古い」「時代遅れ」だからとかそんなことではない。人としてなにか大切なものを否定されてきたからだ、と。"Money can buy"なものを幾ら与えても意味がない、てか与えること、それのみで良かれとすることが、与えられる側のなにかを否定することにもなる。深いです。

 

これは現代でも言えますし、おそらく未来永劫言えるでしょう。親の価値観というのは結構子供を拘束しますし、それがもとで「3年殺し」が30年殺し」くらいの人生の時限爆弾化していって、20-30代半ばくらいになって煮詰まって、壊れて、どうしようもなくなって~って話はよくある。それでオーストラリアにWHで来たりとか、なんかブレイク入れて、冷却して、ゼロリセットしないとってことにもなる。それは僕の本業の日常の風景でもあります。

 

だからこの歌は、世代でもないし、時代ですらなく、もっと普遍的なことを歌ってて、そこが凄いし、さらにそれをあの時代背景でしれっとやってるところが、なおのことすごいです。時代の先端なんてぬるいレベルじゃなくて、時代そののものを軽々と越えている。

 

と、さんざん前フリをしたところで、原曲をどうぞ。
歌詞と日本語訳を書いてると長くなるので、僕が勝手に歌詞と訳を載せたものを作りました。

と!思いきや、YouTubeに上げたら著作権違反でダメだって。なんでだよー、いけてるやつもあるじゃんかよーって愚痴っていても仕方ないので、窮余の一策。

上に僕が書いた歌詞だけ(音は消してる)のビデオ

下にYouTubeにあった曲だけのビデオを並べておきます。

上手いこと同時に再生されたら、二つのビデオ(歌詞と歌)が同時に再生されます。接続の関係でずれたときは早い方を一瞬ポーズするなり調整してください。あー、めんどくさ。

 


実話

検索してみると、この曲は当時の実話があって、 Melanie Coeという17歳の少女が家出したと67年のイギリスの新聞に記事になりました。ポールがそれを読んで、インスピレーションを得てこの曲を作ったそうです。Song Factというサイトの説明によると、http://www.songfacts.com/detail.php?id=123 この少女は、後の成長して2008年にインタビューに答えてます。その頃には不動産事業の部長職くらい偉くなってるんですけど、若いときはそうだった。


「新聞記事に自分の写真が出ててびっくりしたわ。長いことこの曲が私のことを歌ったものだとは知らなかった。あるときポールが言ってるのを聴いて、そうなのかと思った。そして、”That line, 'She's leaving home after living alone for so many years' is so weird to me because that's why I left. I was so alone. How did Paul know that those were the feelings ”(長い間の孤独の末に彼女は家を出ていったという歌詞は、気味が悪いくらい図星だったわ。そう、ずっとずっと私は家で孤独だった。一体どうしてポールは、当時の私の気持がわかったんだろう?)」と答えてます。

 

構成

その他特筆すべき点が幾つかあります。
(1)映画的な情景描写とストーリー展開
 書き置きを残して、そっと裏口の鍵を廻し、、、と情景が目に見えるような歌詞が続く一方、、時間差で残された親が書き置きを読み、泣き崩れ、悲嘆にくれる様が描かれ、さらに遠く離れた娘は彼に会って新しい世界に進んでいくという。ほんとうに映画を見てるような歌詞構成です。

 普遍的なテーマを歌う場合、「愛はなによりも~」とか抽象的な歌詞になるのが普通なんですけど、この曲は、徹底的に叙事的に事実を羅列して、それを流すことで、普遍テーマを浮き彫りしていくという手法を取ってます。これ、難しいですよー!あまりにもさらっと成功してるから、なんてことないように見えるけど、それは彼らが天才だからであって、じゃあ自分で作ってみろと言われたら、やっぱ憲法みたいな抽象的な言葉の羅列になりますよ。

 

(2)スケール(音階)
 日本人にはなかなか思いつかないメロディラインです。これもさらっと歌ってるから気づかないけど、よく考えると、こういうメロディ展開は日本人の民族的ストックにはないなー。

 以下に紹介する動画は、どっかのおじさんがこの曲がいかに凄いかを説明しているものですが、途中自分でキーボード弾いて歌ってます(けっこう巧い)。その中で、2分15秒頃から説明するのですが、西欧の古くからの民謡(フォークソング)に使われているモード、スケール(音階)を使っていると。なるほどー。

 このビデオ、背景の時代を感じさせる動画や画像が興味深いです。

 

(3)バンドじゃなくてオーケストラオンリー
 この曲、ギター弾き語りでも、バンドでもどのようにでもアレンジして演奏できそうなんだけど、敢えてオーケストラ一本だけでやってます。ビートルズ的にはポールとジョンがボーカルで歌ってるだけです。

 YouTubeを見てたら、オーケストラで再現している動画がありましたので紹介します。なるほどこうやって演奏されているのかって、これも面白いです。

 

 

 個人的には冒頭しょっぱなのハープの音が印象的でした。ハープの音や演奏とか日頃滅多に見ないだけに、なるほど、ああやるのかと。

 ところで、漫画紹介は比較的最近の作品を扱いつつ、音楽になったら古い曲がメインになってしまってるのですが、別に古いからやってるわけではなく、埋もれさせるには勿体無いなって思って書いてるという動機は同じなんですけど、、、とか考えてたら長くなりそうなので、また別に書きます。

 

 

本家でまだ掲載してない書き下ろしです。

 

 

 



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