オーストラリア/シドニーから。
APLAC/SYDNEYの別館。漫画紹介や趣味系の話をここにまとめて掲載します。

音楽の漫画の違い(その1) 

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漫画と音楽の違い(その1)

 

・漫画は新作だけど、音楽は古いのはなぜ?

・音楽はつまらなくなっているのか?

先行者利益と追跡者利益、イノベーションの付加価値

 

このブログも30本ほど書いたわけですが、漫画はわりと最近のものを取り上げ、音楽はかなり古いものを取り上げています。

 

別にそういう意図のもとにやってるわけではなく、なんとなくそうなってしまっている。でも、何故なのか?


単純に、自分の中のストックとして漫画はリアルタイムに更新してるけど、音楽はそれほど更新してない、つまり最近の音楽をそんなに熱心に追いかけていないという事実があります。

 

ではなぜ音楽はそれほど探さないのか?ですが、これが考えていくとかなりディープになってきて難しい。

 

音楽は詰まらなくなってるのか?

最近の漫画はそれなりに面白いが、音楽は焼き直しが多くて面白くないから、、、とは、僕はあまり思ってません。


2012年にポップ音楽はここ50年で「よりうるさく、単純に」、論文」
というレポートがニュースになりました(あるいはここ)。英文ではPop music too loud and all sounds the same: officialというロイターの記事があります。これによると、

「英科学誌ネイチャー(Nature)系列のオンライン科学誌「サイエンティフィック・リポーツ(Scientific Reports)」に26日付で掲載された研究では、1955年から2010年までに世界中で作られたロック、ポップ、ヒップホップ、メタル、エレクトロニックなどさまざまなジャンルの音楽から選んだ50万近くの曲をコンピューターで分析した。その結果、音量レベルが常に上がり続けている一方で、コード進行やメロディーの多様性は過去50年間で一貫して減少を続けていたという。」

「収集された多くの証拠が、現代西洋ポピュラー音楽の創作と制作において、進化が阻害されている、あるいはまったくしていないという意味で、慣例主義が大きく存在していることを示していた」

 

というもので、「音楽がつまんなくなった」の科学的な証拠のように受け止められ、世界に波紋を投げかけました。ただし、音楽は進化しているのか、退化しているのか という論稿を書かれた方のご指摘のように、この論文はメロディとかコード進行だけで分析しており、リズムは取り上げられてなく、もしかしたらリズムに関しては進化しているかもしれない。むしろリズムが進化し、リズム重視の音作りになったからコード進行やメロディが相対的に軽くなってるのかもしれない。その可能性はあると思います。

 

でも、どうなんだろうなー。この手の趣味の世界で、「進化」すればいいってもんでもないような気もします。ま、この論文も良し悪しを論じてるわけではなく、純粋に「変化」だけを取り上げているんでしょうけど。進化でいうなら、クラシックだってビバルディとベートーベンでは約100年差あって、確かにベートーベンの頃の大オーケストラという表現技法は、パイプオルガンや室内楽メインのビバルディの頃よりも「進化」はしたでしょう。でも、ビバルディの「四季」が一概に古い・劣ってる・詰まらないとも言えないでしょう。

 

ただ一方で同じことを繰り返されても興醒めだというのはたしかにあります。どっかで聴いたようなメロディと、歌詞と、アレンジでやられても、「あの手の感じね。はいはい」みたいな流し方をされがち。特に、マーケティング先行の曲作りとか、売れるためのあざとい商業主義とか(小室、つんく→秋元の流れ)とか、白けるものはあります。またそういう資本主義的な構造に乗っ取られてしまったかのような環境で活動しなきゃいけないミュージシャンも気の毒ではある。

 

やっぱ、「なんだ?こりゃあ!」という斬新なショックがあるとうれしい。例えばヴァン・ヘイレンが出てきたとは世界のギターキッズはひっくり返ったわけだし、ブルーハーツが出てきたときは、日本のロック界隈では衝撃でした。なんせ、あんな童謡みたいなロックなんか、それまで誰も考えもしなかったですから。そういう表現もアリなんだと、無から有が生じたくらいにびっくりしたもんです。それが進化なのかどうかはわからないけど、衝撃性や新規性というのは無視できない大きい要素であります。

 

でもでも、そうはいってもローリング・ストーンズは永遠だという、黄金のマンネリもあるわけですよ。半世紀前と同じことやってるんだけど、でも感動してしまうという。

 このあたり、新しい古い、進歩退歩って一律に言えないものがあるなーって思います。

 

先行者利益と追跡者利益

「先にやったもん勝ち」というのは確かにあります。その昔、エリック・クラプトン既得権者論というのがあって、60年台のロック黎明期に有名になって、神様になってしまったら、あとは悠々とやってられる。当時はスローハンドと言われて神業扱いされたテクニックだって、後の時代になればなるほどもっと凄いテクニシャンが出て来るし、今ではもう世界中のアマチュアが超絶技巧をYouTubeにのせている。これだけのものを半世紀前でやったら神様になれたけど、「先にやって」ないからプロにもなれない。ずるいじゃん!って話です。その意味で先行者利益はあります。

 

また、新しい曲想を鼻血が出るくらい考えても、大抵のことはもうやり尽くされていて、なにをやっても二番(百番)煎じ的な扱われ方をするし、何をやっても綺羅星のような過去の天才たちの音源と比較されるから、やってらんないでしょう。

 

ただし、後追いの利益もあって、過去に先人たちが開発してきたあらゆる音楽を教材として学べるわけだし、パターンやテクニックという無形の共有遺産をシェアできるわけです。また、教本にせよ、スタジオにせよ、楽器の値段にせよ、昔よりはかなりやりやすくなってる。だから、ある程度のレベルになるまでの時間は短いし、昔3年かかったことが今では半年で出来てしまうという環境的な有利さはあるでしょう。

 

イノベーションの付加価値

とはいうものの芸事の世界では、やっぱ革命者・天才絶対というか、先にやった人が賞賛されがち。でも、それは単に時期の先後ではなく、「付加価値」だと思う。「これまで誰も思いつかなかった新しい表現」をやったかどうか、どれだけ広げられたかでしょう。「コロンブスの卵」で、知ってしまえば誰でも出来るんだけど、それを思いつくこと、発想の飛躍にこそ最重要な価値がある。

 

体操競技やってた友達が言ってたけど、昔のC難度で世界でも一人か二人しか出来ないような技でも、時代が少したったら中学生でもやるようになる。その分体格や運動神経が発達したというわけでもない。要は「そういうことが出来るんだ!」とわかってしまえば人間はなんでも出来てしまう。練習すればいいだけですから。

でも「出来るわけがない」と思い込んでるときは、その練習すらできない。優れた革新者と言うのは、誰もが出来ないと思ってるなかで、なぜかそいつだけ出来るという確信を持ち、何をどう練習すればいいのかすらわからないという宙ぶらりんで、長い時間やり続けてきてついにはモノにした、その奇跡のような単独行が賞賛されるのでしょう。新規性や衝撃性の元になるのは、その点だと。

それは単に「先行者利益」とかいう話ではないです。いや待てよ、世間で先行者利益と言われているものも、単に「早い者勝ちだから得だ」という薄い話ではなく、「他の誰もができなかった孤独なイノベーションを成し遂げた」部分にキモがあるのでしょう。

 

しかし、まあ、同じところをグルグル廻ってるっぽいのですが、イノベーティブなことをするなら黎明期の方がやりやすい。なんせジャンル自体がイノベーティブですから、ちょっとしたアイディアを実験するだけでもう十分に革命的になるという。お手本もないし、何が売れるかもさっぱりわからないし、だから自由になんでもやれた。開拓民時代は、客観的な「空き地部分」が大きく(てか全部空き地)、だんだん開発されるにしたがって空き地が減ってくる。

 

ただ黎明期においては、その時点で開拓村に参加すること自体が、かなり高いハードルになっていたでしょう。だからトータルのバランスは取れているのでしょうね。50年代や60年代で職業的にロックをやるというのは、今で言えば「新興宗教に出家する」「テロリストになる」という濃度を薄めたくらいの感じ。価値的にどうかというよりも、一般世間から「どれだけ外れているか」度です。もう人並みの幸せは全部諦めて、人生捨てるくらいの肚括りがないとできなかったでしょうしね。またそのくらい「いっちゃった」人達がやるからこそ、イノベーティブで感動的だというのはあるでしょう。

 

漫画だって同じことなのに

とまあ、音楽の新旧比較をしたのですが、これって別に漫画だって同じですよね。ロックの世界で、初期の頃のビートルズレッド・ツェッペリンなどの星団のようなビッグネームを超える存在はなかなか出てこない。単に中高年の懐メロだから売れているというだけではなくて、冷静に見てもやっぱ質量ともにずば抜けてる部分はあります。「50年後に聴いても尚も感動できる」という単なる時代性先進性だけではない普遍的な質を伴っている部分はある。

 

でも漫画だって、手塚治虫を超えるビッグネームは出てこないし、これからも出てこなさそうです。ストーリーのパターンも、キャラ造形も、ジャンルも、大抵のものはもう出尽くされ、表現され尽くしている。漫画家になるにも、昔は描き方もわからんわ、メディアが少ないから日本で十数人しか食えない」レベル(プロボクシングのように)だったけど、その道はだいぶ緩和されているでしょう。まあライバルもその分増えてるけど。

 

そういう事情は、音楽と漫画で、あるいは他のアート分野もそうだけど、それほど違わないと思うのです。

ちなみに商業は違いますよ。商業は、松下(パナソニック)が昔「真似した」と揶揄されたように、イノベーティブなのはシャープとサンヨーがやって、それをあとから松下が大資本と洗練された販売網で一気に追い上げかっさらっていく。それは資本の原理で出来るわけです。が、アートは資本の原理だけでは動かない(秋元的にそれで動いてるっぽい部分もあるんだけど)。なにが違うかというと、家電などの商品は「安くて性能がいい」という客観価値でいけばいいけど、アートの世界は「面白い」という主観価値がメインであるから、量産が難しい、工場のラインが組みにくいものだからでしょう。

 

でもなんか違う

ともあれ、漫画と音楽で新旧の構造は似たようなものなんだけど、でも、なぜかしらんが、漫画は懐メロ的に昔の漫画だけを繰り返し読もうとは思わず、新刊でも気楽にトライできるし楽しめる。

 

音楽の場合は、なんかしらんけど、なかなかそうならない。新しいものに接してないわけではなく、ある程度聴くし、日本をはなれるときはキャッチアップのためにロッキンオンとかわざわざ日本から送ってもらってたくらいです。でもね、ヒット率は低い。いや、嫌いだとかダメとかいうんじゃなくて、「いいじゃん」って思うのはたくさんあるんだけど、でも続かない。ちょっと聴いてそんで終わりが多く、それでは満足出来ない。漫画は、そこそこ面白かったら、まあ満足できるのですよ。でも、音楽はそうではない感じがする。

 

その代わり、音楽の場合、ハマってフェバリットになった曲は、いくらでも聴ける。数十年経っても聴ける。WALKINGやクルマでランダムに流している自己選曲200-300曲があるんですけど、そんなに飽きないのです。でも、この頻度で同じ漫画が読めるか?というと、いかに好きで、いかに名作だったとしても厳しいかなーという気もする。

 

他にも音楽と漫画で違う点があるように思います。求める快感(感動)の質が違うんじゃないかとか、その作品を理解・消化するまでの時間の長短・深度とか。あるいは、音楽には、漫画と違って、純粋サウンド以外の付加価値が多いとか。例えば、時代精神やムーブメントとか、イケメン萌えの疑似恋人的な付加価値とか、話題性や俗世的な付加価値とか、ファッションやカルチャーリーダー的な部分とか。そのへんがなんか影響してるのかなー?とか。

 

これは僕の場合という特殊ケースなんかもしれないけど、なんでこんな違いがあるんだろうなーって、そこが面白くて考えてます。この項、長くなったので、また続きを書きます。

 

 

 

 



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