漫画紹介「ザ・ファブル」
この漫画、かなりユニークです。設定としては「殺し屋」で、こんなの100年以上前から世界の東西でさんざんやり尽くされてきたネタなんですけど、この作品はちょっと類例が思いつかないくらいユニークです。すごいな、よくこんな設定&ストーリーを思いつくなー。
ユニークといっても、主人公が実はアフリカの黒魔術の、、とかそういう分かりやすいものではないです。殺しの修羅場以外の普通の日常シーンが多く、またそれが大阪の漫才ドラマのような、まったりした空気感で続いている。限りなく「日常」なんです。僕らの日本の日常生活をそのまま描いてるようなリアルな空気感のなかで、敵役になるワルが描かれる。ことさら恐そうにデフォルメして描いてないだけに、市井の暴力や犯罪の恐ろしさやメカニズムが迫ってきてそこはゾッとします。
そういったワル達を、主人公は楽勝に子供扱いにできるくらい突出して強いのですが、しかし凶悪なわけではない。それどころか、僕らの日常生活以上に天然にのほほんとしている。人を殺すという能力は天才的であり、既に70人くらい殺しているんだけど、別に仕事だからやってるだけで、特に罪悪感もストレスも気負いもない(もっぱら犯罪組織間の抗争がメインで、一般人は対象にしてないっぽいのもあるが)。
「1年ほど休業してほとぼりをさませ」というボスの命令で、知らない大阪にやってきて市民として暮すという日常設定もあるんだけど、そんな設定が無用なくらい、普通の人。いや、普通以上に、時給800円の仕事でも一生懸命やるし、困ってる人をみたら助けてしまうし、悪いことや意地悪は全然しないし、大好きなお笑い芸人のテレビをみるのが楽しみで、広告に釣られてせっせとグッズを買ってしまう。さらに描いたイラストが職場で採用されるのだけど、子供が描いたみたいな味のある絵を描く、でもってすごい猫舌。
なんだこれ?と思ったのですが、だんだんつながってくるのです。
ボスの殺し屋は物凄く賢いのでしょう。人間の持ってる天然の野性を極大まで引き出す。素質のある子供をそうやって育てたら、誰もかなわないような危機察知能力、瞬間的な判断能力、機転、そして身体能力がつくと。
だから主人公が子供のような人格であってもうなづけるわけで、特に、猫舌はご愛嬌の設定かと思いきやちゃんと意味があったりする。山の中で何を食べて良いのか、毒があるかどうか、全神経を舌先に集中して食べるから、いやでも神経が過敏になって猫舌になったという。
そういった全体像が、巻を追うごとにだんだんと明らかになっていきます。特に、自主トレと称して近郊の山に篭もるシーンが面白く、想定外だらけの世界でいかにその場のものを使っていかにサバイブするかと。ああ、これ、ワーホリのラウンドと同じことだなーと。
一方同じように拾われて育てられた美形の女性もいて、いちおう妹という設定になってるんだけど、この人がまた妙な味をしていて、主人公である相棒(だが恋愛感情はお互いにもってない)があまりにも人間離れして強すぎるから、男性の趣味もダメダメな見栄やら、ヘナチョコな実像ぶりを愛するという偏った趣味になるという。でも、一流の殺し屋を子供扱いできるくらい強い(それでも主人公の方が格段に強いが)。
ワルの側も、最近のシリーズでは、世間の過保護の風潮をせっせと助長するビジネスをやる。万が一にも子供に怪我をさせないようにと、公園のブランコの下にマットを置くなど世間に提唱したりする。本性は、小学生さらって幼児売春やらせたり、人を殺すのを屁とも思わないのだけど、そういうことをする。
その意味は、15年かけて過保護の子供を育ててカモにするためだという遠大な計画。どんどん過保護に育てて、危機管理能力も判断力もない子供を大人に育ててから骨までしゃぶる。トラブルにひっかけ、世間体と子供可愛さのバカ親に巨額の賠償金を払わせたりして、あとはあっさり生き埋めにして殺すと。
それらの一味と、主人公がどういう偶然か絡み合ってきて、悪魔のような狡猾な犯罪者と、天然野性の殺し屋が相まみえるというのがリアルタイムのところです。
文責:田村
※この文章は、APLACの本家サイト・今週のエッセイ835回の一部に掲載したものを新たにリライトして載せました。