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漫画紹介:[伊勢ともか] 懲役339年~寓話なんだけど本当すぎて笑えない

漫画紹介:[伊勢ともか] 懲役339年

 

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 これはタイトルだけで読もうと思いましたね。発想が凄いなと。

 なぜ339年になるのか?といえば、無茶苦茶な宗教が国を支配していて、受刑者が死んだら、その者の生まれ変わりを国中から探しだして残刑期を償わせる。つまり、生まれたときから受刑者にされ、死ぬまで刑務所で過ごすということを何代にもわたってやりつづけるという。


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輪廻思想と身分社会と政教分離

 輪廻転生思想の一種ですが、生まれ変わっても刑罰を受け続けるというところが凄い。ただ、そこまで転生を徹底すれば=現世と来世の連続性を強く固定してしまえば、支配層にとっては超都合の良い世の中になります。なんせ貧富の格差が激しくても、それは前世がそうだから良いのだ、今貧乏な奴は前世で貧乏になるような原因を作ったんだんだから当然の報いだ。現世で不正に金持ちになったとしても、それは前世で努力したから良いのだとかごまかせる。めちゃくちゃな現状肯定であり、あらゆる不正や国政の失敗を誤魔化すことができる万能ツール。

 考えてみれば、人類の歴史は(現在に至るも)、この種の「子供だまし」のような「おはなし」で成り立ってます。かつての身分制度、階級制度、封建制度というのは、「そーゆーものだから仕方がない」「それでいいのだ」という強烈な現状固定と誤った保守意識を植え付けるのに都合がいいです。そりゃそうですよね、原理的には「不平等こそが正義」「差別こそが正義」であり、全員を幸福にする必要なんか全くないんですもん。

 さらにこの漫画で出て来る宗教支配もそう。なんで政教分離が世界の近代憲法で謳われるかというと、宗教をカマすと論理性が一気にぶっ飛ぶからです。単に自分が強欲なだけで独り占めしてた場合、他の皆からなんでお前だけがって批判されるし、独り占めしても良いのだと理路整然と説明できなければならない(アカウンタビリティ)、そこで説明・説得出来ないものは否定されるのがルール。

 ところが宗教一本カマしたら、且つその宗教原理(教義)や運営をコントロールできたら、「それが神の意思だから」というオールマイティな論理(?)でなんでもクリアできちゃう。最強すぎる。かくして、理性で世の中動かなくなり、この世の悲惨はまったく救済されなくなり、むしろ悲惨であることが正義のようになる。何千年もそればっかやってきた人類も、さすがに、これってアホ過ぎない?って気づいたのが、つい200年前くらいですからねー。

 

 さて、この漫画は、そのあたりのことを、「懲役339年」という途方もなく理不尽な設定を置くことで明瞭に描いています。ありえないくらいの悪政であっても、それでも通ってしまうという人間社会のアホアホな部分を、そんなトンデモ話を通してしまうだけの国家権力の狡猾さを、そしてコロリと騙されてしまう民衆を。

 全四巻の短い物語ですが、最初の方は、歴代受刑者の物語が続きます。生まれたときから犯罪者として決めつけられ、死ぬまで刑務所から出してもらえないという、なんともやりきれないような人生であっても、諦観して死ぬまで服役するものもいれば、脱獄や反抗を試みる者さまざまに出てきます。

 

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 ですが、こんな暴政を続けていれば民衆の中にも革命を志すものも出てくる。普通に考えて「おかしいだろ?」と反発する人たちも当たり前に出てきます。しかし、それらがパワーを持ち得ないような権力側の洗脳も弾圧も口封じも狡猾。知恵比べのように、対応を考え、民衆へのアピールやプレゼンを考え、人数を揃え、役者を揃え、準備を着々と進める。

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それでもいざ決行となれば想定外の連続にもなるし、その瀬戸際のところで「決定打」のようななにか(決定的証人や証言)が出てきたり。

 

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 だから、これは、それらが徐々に矯正されていく革命の物語ともいえます。
 これを見てると、人間社会で、当たり前のことが当たり前になるためには、一体どれだけの犠牲と労力と時間と幸運が必要になるのか、気が遠くなるような思いすらします。

 特にオレンジマンと呼ばれる高級官僚が狂言回しとして登場するのですが、その憎々しいばかりの頭の切れ具合、無慈悲なまでの実行力、大衆扇動の上手さは敵ながらすごいですね。宗教権力をさんざん利用しておきながら、いざ宗教が矛盾をつかれて破綻し、形勢が不利とならば、なんのためらいもなく聖職者達を皆殺しにして、自分こそが民衆の味方であり、これから皆で新しい世の中を作ろうといったり、たいしたタマです。

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 転生なんかこれっぽっちも信じてないくせに、その布教のためには平然と民を殺し、隣国との戦争も完全出来レース八百長だったり。前半の白眉シーンに、彼なりの哲学を述べるシーンがあるのですが、戦争だろうが宗教だろうが真実に基づく必要なんか全くない、でっちあげだろうが八百長だろうが、いかに民を統括できるかどうかであり、統治しやすものが良策なのだと。その過程で犠牲者は出るのだけど、それは妥当な犠牲だと。

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 このあたりは究極の問いかけになっていきます。
 確かにオレンジ君の言い分も一理はあるのですよね(二理はないが)。あまりにも真実ばかり晒してたら国家というのは廻っていかない。てか、普通の人間関係だって、ある程度の嘘(お世辞とか心にもない相槌とか)がないと回らない。いちいち本音百%でやってたら角が立って仕方がない。国や社会も、どっかしら「おかしいな?」と思いつつも、「まあ、そういうことにしておくか」という、そこそこ妥協できる調和的な物語(嘘の世界観)があった方がまとまりやすい

 

これを煎じ詰めていけば、「人というのは嘘をつかなければ、うまくやっていけない出来損ないの生き物なのか?」と。

そうだ!というのがオレンジ説なんだけど、しかし、それにしても限度ってもんがあるだろう、そこまで身も蓋もなく開き直ってええんかい?ってことですね。

 

 ダメでアホなんだけど、いやダメでアホであることを自覚するからこそ、少しでも良い方向へと進んでいくそのプロセスこそが大事であり、「正しい」とは、「正しい」とは何かを考えることであり、少しでもヨタヨタとそれに近づこうとするイトナミのことなんだろうと。自分が殺されそうになって目覚めた若き法皇さまも説いています。

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 画はシンプルなものなのですが、それで十分伝わってきます。

 異世界モノでは珍しく、ファンタジー性が乏しく、異能力を持ったヒーローも出てこず、普通の人達が普通に動いているだけです。だからこそ凄味がある。

 

 異世界ファンタジーは、それがどんなに過酷なものであっても、「ここでないどこか」的な現実逃避の甘味があるのですが、この作品にそれはない。現実の国家のありかた、人々の集団はこうやって間違えて、こうやって直していくということを説明するために、こういう荒唐無稽な設定を使ったということなんでしょうかね。

 

 ただ、一番最後のエピソードのような部分、現代時点まできて、懲役339年満了が観光資源になるような平和な世の中。そのなかで、輪廻したかのように、過去に悲劇に倒れた若者二人がまた邂逅するのは、ちょっと清涼剤です。 f:id:aplac:20171202031910j:plain

※この文章は、APLACの本家サイト・今週のエッセイ824回の一部に掲載したものを、大幅に加筆・リライトして載せました。

 

 



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