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漫画紹介 キングダム 39巻 で呂不韋が説く「貨幣制度」と人類の関係  

キングダム 39巻呂不韋が説く「貨幣制度」と人類の関係  

 

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今、世界の先進的な連中の興味のひとつがお金、貨幣制度だと思います。あるいは国家の通貨高権ってどうよ?という問題意識。これを煎じ詰めれば「お金って便利だけど、不便でもあるよね」ということじゃないかなと思います。特にこの「不便」って部分。決済方法としては最も優れているし、人類最大の発明といってもいい貨幣ですけど、でも同時に副作用も大きい。その副作用は現代から近未来にかけて特に激しく出てくるようになった。

 ざっくり思うに、お金の弊害を分類すると精神的な問題と物質的な問題があります。そのうち精神的な弊害は何かといえば、「発想が限定される」「幸福が定量化され比較されるようになる」点です。これって結構キツいんじゃないか、人間のありようや、人の幸せをかなり限定したり、浸食するのではないか。

 これを的確に述べていたのは、マンガでした。秦の始皇帝について描かれた「キングダム」という面白い長編マンガがあり、現在も連載されてますが、その39巻に非常に面白いくだりがあります。始皇帝呂不韋が対決するシーンで、天才商人である呂不韋が貨幣について語るのですが、これが鋭い。

 貨幣がこの世に出現することによって何が変わったか?
 それまで曖昧だった「幸福」が量(数)的に規定されるようなった。
 明快に数量で表現されるから、それを求める欲求も明確になっていった。
 同時に、「他者との比較」ということがハッキリと出来るようになった。

 比較による我欲が増強されるようになった点、そして通貨が通用する範囲が広がることによって「世界=天下」という概念が生じるようになった点です。鋭いでしょ?

 ただ非常に抽象的な話なので、これを文章だけで読んで理解するのは難しい。しかし、マンガでこうも説得的に描かれると、すっと腑に落ちる。いや、ヘタな経済本読んでるより、マンガが一番とんがってて面白いですよ。以下、スキャンした部分を適当にあげておきます。

 

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 以下、自分で敷衍してくと、、、  幸福の定量化ですけど、貨幣があるということは「値段」があるということであり、その値段がその物の価値を決める(絶対的に決めるわけではないが強くサジェストはする)。だから値段(お金)が喜びや幸福の量も決めていくかに思える。

 でも、人の幸福感って、本来は曖昧なものであり、曖昧でいいんだけど、そこにお金をかませると微妙な話になります。とりあえずお金を一杯持ってるとなんとなく幸福な気分がするし、持ってないと不幸な気がする。本当にそうか?というと厳密にはそうじゃなんだろうけど、事実上検証が不可能に近いので、なんとなくお金の有無に引っ張られる。お金って数字で表せるから(てか数字そのもの)、超分かりやすい分かりやすいから引っ張られて、本当に自分にとっての幸福なのかどうかあまり考えなくなる。

 例えば、500円の料理と5万円の料理があった場合、価値は百倍差あります。しかし、人間の生理的な美味快感が100倍も違うわけないです。せいぜい2-3倍だと思います。もし今、人類が貨幣というものを全く知らなかったら(値段という概念が存在しないとしたら)、食べてみての美味しさや見た目のゴージャス感だけで判断するでしょう。その場合でも一般に5万円相当の料理の方を喜ぶ場合が多いとは思いますが、そこに100倍の違いを感じるか?といえば、それほどでもないと思います。でも、実際に百倍差の価格がついてて、それだけの支出(痛み)を伴うならば、なんとなく「凄いものを食べている」感は抱くだろうし、そこになんらかの幸福感もあるでしょう。つまりお金に引っ張られて幸福感が作られるという。

 フェラーリ3000万円が百万のカローラの30倍凄いか?といえば、そこは人によりけりです。今ココでカローラフェラーリが全く同じ値段(or値段という概念がないとしたら)、どっちを選ぶかといえば、使い勝手のいいカローラかもしれません。もしかしてフェラーリのほうが価値的に劣るかもしれない(後部座席もトランクもないしねー)。だからフェラーリの価値の実際の部分は価格そのものから来ている、フェラーリに乗っているというよりは「3000万円に乗っている」。そして「3000万円の高額車に乗れている自分の優越感情やナルシズム」に酔っているとも言えるわけです。これも貨幣(価格)が幸福を創造する、引っ張っていくということです。

 このように、貨幣制度は、本来人それぞれで曖昧であるべき幸福感を、無理やりデジタル数値化し、平均化していく力がある。それはそれで便利な反面、弊害もある。

その人が本来持っているナチュラルな幸福感や価値観を壊す(or影響を与える)という点です。冷静に考えてみればそんなに欲しいわけでもないんだけど、それが価格的に高いと、なにやら素晴らしい世界が待っているかのように思ってしまい、ついつい求めてしまう。それを身につけると人間的に高級になったかのように錯覚したいという心理も出てくる。

 ブランドというのはそういうもので、実際にもその差はあるんだろうけど、本気でその差を理解できる人なんか極めて少ないと思います。絵とか、宝石とか、陶芸なんかさらにそうで、こんなヘタクソな絵がなんで10億円もするのか理解できなかったりもしますが、そこまで極端になるとついて行けなくなって影響されにくくなるんですが(影響されたところで買う資力なんかないから最初から真面目に考えてないとも言える)、微妙に手が届くくらいになってくると、やっぱ価格に影響されてしまって、自分本来の価値観が見えなくなってしまう部分はあるでしょう。

 価値観が影響されるということは発想が限定されるということでもあります。とにかくお金がないと生きていけないとか、お金を稼ぐことが人生の最大目的になってみたり、「仕事=お金を稼ぐこと」と狭く決めつけてしまったりもするでしょう。この弊害はデカいと思いますよ。

 

 

※この文章は、APLACの本家サイト・今週のエッセイ766回の一部に掲載したものを新たにリライトして載せました。



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